yuki-midorinomoriの日記

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天台寺門宗・滋野敬晃師による朗々たる修験道系声明と山本邦山の尺八によるコラボアルバム『山本邦山、声明に挑む』(1978)

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今日は修験道系の声明と普化尺八のコラボレーションという趣向のアルバムである。声明とは、お経に節をつけて歌うものであり、それはまた日本の声楽・音楽芸能の源流ともいわれている。≪声明は日本の歌曲の原点として、今様、平家琵琶謡曲浄瑠璃、小唄、長唄浪花節、民謡、演歌等の中にその節回しとともに生きている。≫聞けばなるほどと納得されることだろう。拙ブログで先に取り上げた『真言密教の大般若心経転読会』の<声明>と今回のそれは修験道系の声明ということで随分と雰囲気の違うものとなっている。すべて宗派が違えば節回し等も違っているけれどもこの声明はひときわの違いをみせている。奈良時代に役(えん)の小角(おづぬ)が開いたといわれている修験道。これは入峰修験(山岳に籠もって修行すること・天台宗は「聖護院」「鞍馬寺」「三井寺」、真言宗では「醍醐寺」「長谷寺」)を旨とし、末法思想に象徴される社会乱世への対応のためもあり、こうした寺社・聖域での武術練達がおこなわれる事になった。そこに、のち武道を極めることと宗教との結びつきが見られるようになる。いわゆる武士(家)と禅宗である。≪修験道と武道とは修練を重ねて彼岸に達するという点で思想的な共通性がありますが、この思想は実は、荘子の達生篇に見られるものです。鎌倉時代初期には禅宗が日本に伝えられましたが、この宗旨の底流には老荘思想が流れているために、武士の好む宗教となりました。この思想を要約することはたいそうむずかしいことですが、「いろは歌」が実に簡潔に言い表しています。すなわち「有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ、酔いもせず」(有為にはやる心を抑えて、無為になりなさい、すなわち、無念無想になること)ということばです。・・・・すなわち、自己を滅却するために修行が必要であり、生から死に至る過程に運命が作用するというもので、日本人の美意識である「幽玄」あるいは「侘寂」の母体となった思想なのです≫(柴田耕頴)こうした老荘の無為の思想を生き様とする武家、のち豊臣家と徳川家の争いである大坂夏の陣で流竄となった夥しい武家浪人たちが、当時すでに存在していた≪一節切(ひとよぎり)という小形の縦笛を吹いて物貰いをしていた薦僧という乞食僧の社会≫に身を隠し、それが後、武士階級の信仰すること篤かった禅宗の別派、普化宗をおこすこととなり、尺八を吹いて行脚する薦かぶりの僧の姿、風俗の登場となったということである。いわゆる普化尺八の登場である。≪このレコードに収録した天台寺門流声明の旋律には、尺八本曲(古典曲)の特徴ある疎息(ムラ息)、打ち指などの旋律と同形のものが数多くみられます。この流れの声明は三井寺で行われていた声明ですが、修験道系の声明で、恐らくこの流れを尺八本曲が汲んでいるものと思われます≫(柴田耕頴)。こうした意味からも、まことに興味深い尺八と声明の音楽発生史的な対比であり、コラボレーションであるともいえよう。見事なまでに一人で朗々とうたわれる修験道系のこの声明は、いわゆるよく聴く、多くの僧によるユニゾンに一種没我の趣を特徴とする真言声明、すなわち雑然の中の揺らぎが特徴の声明とはおおいに違う。己を極めて無為になる個の宗教思想と、≪一般庶民の識字能力が低かった時代に宗教の概念を広める為≫の節回しをもたせた声明とはやはり、整然と雑然の(成り立ちの違いをも含めて)おのおの意味深い違いを感じることとなるだろう。天台寺門宗・滋野敬晃師の寺門流声明と都山流尺八の山本邦山二人によるコラボアルバム『山本邦山、声明に挑む』(1978)。