yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

呪術的民俗世界で、独創の漢字・文字学を確立、文化勲章した<狂>のひと白川静の『常用字解』

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<*>(さい)
イメージ 2これほどにイメージを膨らませ漢字に遊ばせてくれる漢字、文字学者はまずいないだろう。
その古代の呪術的民俗世界からする解読展開がメチャ凄くて面白いのだけれど、それを忌み嫌う人も少なからずいることは否定しはしない。しかし古代観念世界を呪術のさほど支配しない現代に引き寄せた世界と見るのもどうかなと、私には思える。ジュリアン・ジェインズ Julian Jaynes (1920 – 1997)のように3000年以上まえにはいわゆる神の声を聴く意識はあっても、いわゆる自我としての意識は存在しなかったという、まことに面白い<二分心>説を披瀝する学者も存在する。つまりは区別されることなしに神とともに在ったということである。さもありなんと思える興味深い説である。というのもこの白川静の漢字の世界もゾクゾクするほどの荒々しく呪術的民俗世界に満ち満ちていおり、斯く古代世界はあり、文字が生成したであろうと思えるのである。たんにそうした呪術的世界の暗冥の特異だけで説が終わるのでなく、暗冥のなか、神と共にある民俗世界でも一貫性のある展開を確保できているだけに凄いのである。甲骨文字、金文などのいまに残された生成始原(象形)文字の徹底的な研究の裏づけがあればこその独創の漢字世界なのである。ソシュールパロールとラング、シニフィエシニフィアンなどの西洋言語学概念をもってしてもその文字・言語思想をいかんともしがたいほどの徹底堅固な(漢字・文字言語)世界である。【常用字解のブログ画像のど真ん中にある象形文字(さい)=口を、以下<*>記号に置き換える】。口は≪甲骨文字や金文には、人の口とみられる明確な使用例はなく、みな神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形の<*>(さい)である。古、右、可、歌、召、名、各、客、吾、・・・告、・・・・などに含まれる口はみな<*>(さい)と解することによって、始めてその字形の意味を理解できる≫(白川静『常用字解』平凡社・口の項より)こうした呪的解釈をまってこうした口、<*>(さい)の有した文字群の了解の一貫性が確保できたのだ。もうここからは一気呵成の展開であった。≪「告」は「牛」と「口」に分解され、牛が何事かを訴 えるため人に口をすり寄せている形であるとされた『説文解字』以来の従来解釈を退け、上部は小さな木の枝であり下部はそれにつなげられた祝詞を入れる器の形<*>(さい)であるとした。つまり、告げるとは神に告げ訴えることであると解した。ここから、たとえば「可」は<*>(さい)を木の枝でつるしながら祈りの実現を神に要求する意であり、これを上下に重ね、さらに口を開けて立つ人の形を配すれば「歌」となる。また「言」は「辛」(入墨に用いる針の形)と<*>(さい)から成り、我が誓い・祈りに虚偽あらば神の罰(入墨の刑)を受けんとの自己詛(そ)盟(うけひ)を示すもので、そして人の「うけひ」に対する神の応答、つまり<*>(さい)の中への神の「おとなひ」「おとづれ」を示すしるしが「日」(のたまわく)で、ここから「音」の字が生成する。神意をたずねること、すなわち「問」(家の門の前に置かれた<*>(さい)を示す)への神の応答が「闇」であり、闇こそ神の住む世界である。ちなみに「器」の字は、出陣に際して(その鳴き声が悪霊をはらう力をもつとされた)犬を供犠に供する儀礼をかたどった字形である。≫(ネット記事より適略して引用)現在、「器」の字のまんなかにある大は、本来は犬であった。このように犬が大になってしまったところに原義が掴みずらくなってしまった原因がある。点があるかないかでこのような一貫性の視界が明けるのだから、白川静の呪術的読解の面白み、確かさはいや増すのである。このように、犬と大では違いどころの話ではすまされない漢字の成り立ちの根本ともいえるだろう。古来犬は犠牲(いけにえ)として貴い生きものとされていた。したがって、類なども大でなく犬とすることでその原義、成り立ちが理解できる。もちろん今も犬が漢字要素としてある就、献などの漢字もいけにえとしての犬から理解できる。このように、こうした呪的な民俗世界への深い考究があればこその発見であり漢字・文字の体系的了解の成立であった。なんとなんと見えぬ神の充満する呪的民俗世界ではないか。≪神はみずからものをいうことはない。神がその意を示すときには、人に憑(よ)りついてその口をかりるのが例であった。いわゆる口寄せである。直接に神が臨むときには、「おとなふ」のである。「おとなふ」「おとづれ」は神があらわれることをいう。それは音で示される≫(白川静『漢字百話』中公新書)こうしたイメージに遊ぶことが、ことのほか痛快な白川漢字学への読んでも楽しい辞書としてぜがひとも一冊手にされることをお薦めしたい。
私もこのブログで<音>をメインに扱っているが、申すまでもなく、この「おとなふ」「おとづれ」としての<音>の原イメージのもとに綴られている。




日本になぜ漢字が生まれなかったのか?

≪白川さんが文字文化についてどんな結論をもっているかというと、文字は社会のコミュニケーションのために進化などしないという恐るべき結論なのである。 もし文字が社会の交信や理解の複雑化とともに進化するのなら、文字には多くの社会性が反映されてきたはずだ。けれどもエジプト古代文字も中国古代文字も、まったくそのような反映を見せなかった。見せなかったばかりか、文字は社会のごく一部の“聖所”か“王所”のようなところで考案されたのである。 これを白川さんは、神聖をあきらかにしようとした王のもと、文字は一挙に発生したというふうに説明する。 そこで、次のような問題がわれわれの前にあらためて投げ出されることになる。 それは、日本にはなぜ文字が生まれなかったのかということだ。この問題を解いた者はまだ誰もいなかった。しかし、一人、白川さんだけが解答を出したのだ。また、白川さんが解答を出したということも、おそらくほとんどの人は知るまいと思われる。ぼくが想像するには、宮城谷昌光さん(第391夜)くらいが気がついたのではないかとおもう。 白川さんの解答は、日本には「神聖をあきらかにしようとした王」がいなかったというものだ。統一王も、統一をめざした王もいなかったのである。まして、神聖者との応答を解読し、それを表記したいとも思わなかったのだ。≫(松岡正剛、上記千夜千冊記事より抜粋、強調は引用者)




「真実という概念そのものが、・・大昔の確実性に対して誰もが抱く根深いノスタルジアの一部」
                  (WIKI・ジュリアン・ジェインズ項より)
≪ネット記事より引用≫
【ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』非常に興味深い、そして、最高に面白い本でした。人間の意識の歴史を考古学見地、そして人類学的見地から分析し、大胆で、しかも確信に満ちた仮説をもとに研究され、書かれた本なのです。人間の意識は3000年ぐらい前から現在の意識となったということなんですね。なんとその前までは人間は、神の声を右脳で聞き、その通りに動く自動人間だったというのです。その証拠に最古の文学「イーリアス」と「オデッセウス」を比較し、使われている言葉の意味を検証しています。そして、太古の人間は神々と一体となり、自分を意識することなく、神の声をそのままきいていたのですね。そして、その後、意識の発生とともに、徐々に人間には、神の声は聞こえなくなってきてしまうのです。様々な文化の遺跡に残された証拠をあげ、徐々に神々の声が聞こえなくなってくるプロセスを論じてくれます。神の声が徐々に聞こえなくなると同時期に、人間の意識は発達し、比喩によって自分たちの心の空間が現れ、物語化して自分を客観的に見ることができてきたと言うのです。しかし、本来人は神の声を聞く存在だったので、一部の人たちは、その名残としての分裂症があるということなのです。分裂症状のおこる人たちは、現在でも神々の声が聞こえている人たちではないかと。長い本ですが、非常に面白く、神と人間の関係性を歴史的に説いてくれます。とても納得のできるお話で、仮説といえども、これは事実はそうだったのではないかと感じられる十分説得力のある研究なのです。ぜひともこの先が読みたいと思いましたが、残念ながら、この先生はこの本を書き上げられ、その後の研究発表の前に亡くなっています。とっても残念です。しかし様々な方々に影響を与え、今、脳の科学の最先端で意識の研究が続けられています。】


ジュリアン・ジェインズの謂う「二分心」とは?

≪ 「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分[右利きの人にとっては右脳]と、それに従う「人間」と呼ばれる部分[同じく左脳]に二分されていた」。そして「どちらの部分も意識されなかった」(109頁)。なぜなら意識は約三千年前、言語表現の比喩機能(投影連想)によって生成されたからだ(78頁)。すなわち、意識は生物学的進化によって生まれたのではない。それは言語に基づいている。意識は幻聴(右脳がささやく神々の声を左脳が聴く)に基づく「二分心」(bicameral mind =直訳すれば「二院制の心」)の精神構造の衰弱とともに、ほぼ三千年前に誕生した。≫(ネット記事より引用)

[ジェインズ,ジュリアン][Jaynes,Julian]
プリンストン大学心理学教授。1920年生まれ。ハーヴァード大学を経てマクギル大学で学士、イェール大学の心理学で修士・博士号取得。1966年から1990年までプリンストン大学心理学で教鞭をとる。研究者としては、初期は鳥の刷り込みやネコ科の婚姻行動などのエソロジーに集中していたが、やがて人間の意識にかかわる研究へとシフト。最初は原生動物から爬虫類、ネコ科に及ぶ動物の意識の進化と学習、脳機能の伝統的な比較心理生物学的アプローチをとっていたが、満足のいく結果が得られず、広く文献学や考古学の研究へと方向転換。1976年に『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を刊行。米国内外の多数の大学で哲学や英語学、考古学といった学部で客員講師を歴任。国際的に著名な科学雑誌「Bahavioral and Brain Sciences」の共同編集者、「Journal of Mind and Behavior」誌の編集委員も務めた。1997年11月21日脳溢血で歿