yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

高橋悠治のピアノによる『ザ・シーズンズ』(1947)『チープ・イミテーション』(1969)『メタモルフォーシス』(1938)ほか

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さて今日は、高橋悠治のピアノによるジョン・ケージとJ・S・バッハの作品演奏が収められたアルバム。先日初めてタワーレコードをのぞいて、高橋悠治のコーナーがあり、しかも数多くのCDが特設の専用棚に並べられているのを見て驚いた。最も作曲家というより演奏家としての活動がメインであってみれば、はや67歳という本人の年齢に見るその長い活動歴からすれば当然のことだったのかもしれない。それに当方も80年半ばより音盤から遠ざかるという事態もあり、それ以降の高橋悠治の作品をまともに聞いたことがなかったのでいっそうその思いが強かった。そうした80年後半以降のものだけでなく、比較的古い音盤も散見したので、この人気はいったい何なのだろうと思った次第である。それはともかく、このアルバムにはジョン・ケージの、シンプルさをもって特徴とされる初期の作品が演奏されている。以前の拙ブログで採り上げた二枚組みのピアノ作品集にも入っていたケージ26歳のときの作品『メタモルフォーシス』(1938)も演奏されている。<5楽章からなる12音技法による作品>であり、きわめて簡素きわまる線的音楽は、過剰にうんざりしている人々にとっては流れるようなみずみずしさに溢れ、ことのほか慰撫される心地のする音楽だろう。もちろんほかの<バレー協会の委嘱で、ニューヨーク・シティー・バレー協会のために書かれた>という『ザ・シーズンズ』(一幕バレーのための)(1947)にせよ、1969年という、すでにして革新者としての名を馳せるに至っていた時期の作品『チープ・イミテーション』でもそうしたシンプルな静かさにたたずむピアノの響きが聴ける。ちなみにこの曲は≪ケージは、エリックサティーの「ソクラート」を、自分が音楽監督をしているマース・カニンガム舞踊団のために2台のピアノに編曲したいと思っていたが、サティーの出版社の同意が得られないので、かわりに安上がりのニセもの(チープ・イミテーション)としてこの曲を書いた。「ソクラート」の歌の旋律線と伴奏の一部をとり、それを易の操作(チャンスオペレーション)によって作曲された≫(高橋悠治)そうである。ところで私のような単なる鑑賞者はともかく、こうしたケージの作品を演奏する側はどう思って弾いているのだろうか。いや、聴く側にしても、???という人の方が多いのかもしれないけれど、しかし少なくともエリック・サティーのシンプルに感ずるところのある人には、このケージのピアノ音楽世界には物憂さではなく清冽において好感するところあるのではと私は信じる。今文章を打っていて思ったのだけれど、ケージには<陰気><物憂い倦怠>というものに縁遠いのでは、と思った。さいごにケージのピアノ初期作品を取り上げた拙ブログより文章を引用抜粋してこの稿終えることとしよう。「こうしたシンプルさの極みに、のちのケージの革新者の姿が浮かびでてきようとは興味深いものであり、ケージはたぶん過剰な歴史の重みのそぎ落としの修練としてこの時期を雌伏していたのだろうか。ひとりぽつねんとがらんとしたピアノがあるだけの簡素極まる部屋で、この最終収録曲<DREAM>(1948)を作曲弾奏していたように思える。まことに簡素な居住まい、佇まい、なにごとかのはじまりとはかくあるのだろうか。静かにやってくるものにこそ真性があるのかもしれない。」


ジョン・ケージ「初期ピアノ作品集」関連マイブログ――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/27277892.html

ケージとマースカニンガムのパフォーマンス映像
http://www.youtube.com/watch?v=rM1VNr3BhlU