yuki-midorinomoriの日記

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境界、薄明へと古代論する思想の原基。吉本隆明と松岡正剛の出会い、オブジェマガジン『遊』9月特大号・1982

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吉本隆明――日本では多種多様な種族が、それぞれ小地域で独自の習慣、風俗、言語を持ち続けていた時期がそうとう長かったのではないでしょうか。そう考えると、共同体形成のときにはじき出された連中というのは、種族としてまったく別だったのか、宗教的タブーによるのかは断定できないとおもいます。外来民族が主流を占めたからそうなったというのはウソで、そんなものではない。仏教の受け入れ方も一様ではなく、制度の頂点としての王朝が受け入れた仏教、つまり百済から経典とともに流入したものばかりではないとおもう。・・・・・そうして共同体からはじき出された人々が農村の一角に入り込むことができたり、自己開拓するようになったのはずっと後のことでしょう。芸能芸術を持った潜在的なもの、執着のようなものは、原型的にはじめからあったようにおもえるほど強いとおもいます。

松岡正剛――僕は芸能者というのはかならず遠方から呼ばれるのではないか、とおもっている。それぞれの共同体の近辺にはいない振る舞いの異様なものを遠くから招く。逆にいえば遠方からやってくるのはいつも芸能者ということになる。その芸能者が強力ならば、それはカミとして支配し、君臨することになります。芸能者とカミは人格的にはちがうものかもしれないですが、概念としては一致している。それがいわゆるオキナというものじゃないでしょうか。芸能者というのはカミになろうとして失敗した連中かもしれない。あるいは正神にたいする異神だったかもしれない。その場合はモドキが必然化されてきますね。いずれにしてもかれらが共同体の境界をわたり歩き、各地で振舞いを続けるうちに、遊女やくぐつ師や山岳修行者になっていったのかも知れません。そして山で採った薬草や芸やセックスを売ることで共同体に参加してゆく。時宗にはそういう連中を組織化していったところがありますね。芸能者はそのままでは共同体の中枢には入れなかったけれど、宗教化して阿弥(あみ)の同朋衆となることで権力者に接近し、そこで本来の芸能を振舞う。しかし、これも最終的には相容れないないものだから詰め腹をきらされるはめになる。このパターンが光悦まで続きますが、光悦は家康に江戸に呼ばれたとき、危険を感じて追いはぎが出そうな鷹ヶ峰に法華浄土を作ります。これ以降は阿弥(あみ)の悲劇はなくなり、かわって歌舞伎や、悪所の中に封じ込められた連中に阿弥(あみ)的なおもむきがくわわって、現代にまで続く。

吉本隆明――それは現代の芸能にも言える。

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吉本隆明――それは僕自身の言葉で、松岡さんの問題意識に対応すると、「古代論の欠如の問題」ということになります。つまり西欧近代思想や科学というのは錬金術のようなものの中から迷妄とされるものを削除することで成立したのだから、錬金術より自然科学のほうが進歩した確かなものである、というのが西洋合理主義を受け入れるところでの具体的な考え方になっていますね。その中でのひとつの頂点がマルクスの思想であり、それを地域的にもおきなおそうとして、あぶなっかしいことになっているのがロシアや中国です。僕は、そういう展開の仕方には、古代論が欠如しているとおもいます。はたして錬金術は迷妄か、ということが問われなければならないとおもいます。古代論という視点を持って見たとき、錬金術はけっして迷妄ではなくなる。そこには人類の意識作用のひじょうに原型的なものが含まれています。近代科学はそれをひろうことができなかった。仏教では僕が好きなのは浄土教であり、大乗仏教であるけれど、やはり密教的要素や原始仏教ヒンズー教的要素の中にあるものは、迷妄としてではなく古代論としてつかまえなければならないとおもっています・・・・科学も神学も近代的なとらえかたしかしていません。

松岡正剛――そうですね。時代的には古代論であり、人間では少年論、生物としては直立二足歩行したてのサル論であって、生命全体としては卵割期のオーガニズムの問題だとも言えます。もっと大袈裟にひろげてしまえば発生論になりますが、むしろ発生の瞬間よりもその直後の問題こそ問いたいですね。しかもそこは、われわれと地続きであって、どうしてもそこまでは戻らざるをえないアーキ・タイプでもある。そこは「誰そ彼」というか、どちらかに分れ出す前の薄明状態です。文明に対しての薄明と言ってもいい。

        オブジェマガジン『遊』9月特大号・1982(「現代の両雄がついに出会った」)


60年代から70年代思想界を牽引していたカリスマ・吉本隆明と、80年代以降、唯一無比のイマジナリーな鋭い言語感覚であらゆる知の領域を百科全書的情熱をもって渉猟し、情報編集に時代を駆け巡ってきた松岡正剛との刺激的な対談であった。中心から周縁、境界へ、淡くぼやけ、ゆらぎ摂動する薄明の世界、きずつき壊れやすいフラジャイルなかそけき世界への言とよせはことのほか魅力的であった。すなわち≪「合同でなく、相似である。数学的幾何学は合同を可能にするが、自然と存在の幾何学は合同を許さない。同じうしようとするから貧しくなり、険しくなり、寂しくなる。合同とはしょせん思い上がった自意識による思いがけない孤立のことだ。すべからく似ようとするにとどめるべきである。似ようとしてそこに近づき、マルティン・ハイデガーの<近さ>を熟知した上で、合同の直前で踏みとどまらなければならない。<相似>とは攻めきらない律動のことである。」≫。いま在るここは、中心ではなく縁(ふち)である。縁(ふち)であればこその眺めも粋である。


吉本隆明――1924東京・東京工大卒。<天皇―国家―大衆を包み込む広大な精神領野の擬制を撃つ現象論、自立論を展開。著書は『心的現象論序説』、『共同現象論』、『最後の親鸞』などその他多数。>

松岡正剛――1944京都・早大仏文卒。<物質―言語―宇宙をつらぬく自由自在な科学的全自然学を提唱。著書は、『存在から存在学へ』、『概念工場』、『眼の劇場』、『自然学曼荼羅』などその他多数。>