yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

トリッキーでアグレッシヴ、はつらつ清新の革新者セシルテーラーの『Cecil Taylor Buell Neidlinger Newyork City R&B』(1961)

イメージ 1

前回採り上げたBARNABY盤はサックスのアーチー・シェップをフューチャーしたクァルテットでの1960年セッションの記録『AIR』であった。ところで今回のものは、そのおおよそ3ヶ月あとの1961年1月にレコーディングされたものである。
この『Cecil Taylor Buell Neidlinger Newyork City R&B』でのフーチャリングはアーチーシェップ(サックス)、デニスチャールズ(ドラム)らは前作『AIR』と同じであるけれども、ほかにクラーク・テリー、ラスウェル・ラッド、スティー・ブレイシー、チャールス・デイヴィス、ビリー・ヒギンスとなっている。
大きくは、やはりレコードタイトルにあるようにベースのビュエル・ネイドリンガーBuell Neidlingerとセシル・テーラーの革新の意気通ずるプレーヤー二人の歴史的にも価値ある、コンセプトとコラボーレーションが聴きどころといえるだろうか。
このベースのビュエル・ネイドリンガーはボストンおよびヒューストンなどの交響楽団に所属もし、またニューヨーク州立大やほかの音楽学校でも教職に就いていたという、そうした経歴は当時としては相当珍しくもあったのではないだろうか。
当のセシル・テーラー CECIL TAYLOR (1930)も黒人ジャズメンとしては珍しく高等教育を修学した人物であった。<音楽一家の家庭に生まれ、ニューヨークの音楽学校を経たのち、ボストンのニュー・イングランド・コンセルヴァトリーで音楽教育を受けはするが、純クラシック分野の古典的なもので、その間にストラビンスキー、シェーンベルクを知ったということであるが、アメリカ現代音楽のアカデミズムの保守性から察するに、たぶん超がつくほどの保守的教育ではなかったかと思われる。>(前回の『AIR』拙ブログより)。このような十分なクラシカルな素養を共通に持つ二人の出会、その出会いが生み出すジャズの革新ということなのであろう。
ところでセシル・テーラーは≪在学中から次第にジャズへの関心を高め、卒業すると54年に・・・・ジョニー・ホッジスのコンボに入って、ジャズマンとしてのスタートをきった。・・・『LOVE FOR SALE』(1959)と『COLTRAIN TIME』、この58~59年の時期にテーラーの音楽はその独自性をはっきり確立したといえよう。≫(岩浪洋三)。
いわゆる世に言う彼のパーカッシヴ奏法の大胆な提示であった。それも単なる新奇な奏法というだけではなく、当時のクラシック界・現代音楽での主潮流であった12音列無調の技法がジャズパフォーマンスに採り入れられていたことが、いっそうの衝撃・革新であったといえるだろう。12音列無調技法を採り入れたブルースというのもなんとも味わいのある斬新なものであった。パーカッシヴな奏法とのマッチングはことのほかトリッキーでアグレッシヴであり、清新はつらつで迫ってくる愉しさに充溢したインプロヴィゼーションをもたらしたのである。
とりわけA面の1.『 O.P.』などリズムセクションのサポートがすばらしく快調でよどみなく、セシル・テーラーの独擅場ともいえるピアノパフォーマンスの極め付けである。彼の無調パーカッシヴソロに魅入られること必定ともいえるほどの革新のスタイル登場である。
ほか2. 『セル・ウォーク・フォー・セレステCell Walk for Celeste』 3. 『シンディーズ・メイン・ムードCindy’s Main Mood』 4. 『シングス・エイント・ホワット・ゼイ・ユースト・トゥ・ビーThings Aint’s What They Used to Be』計4曲が収められている。
この頃のはつらつ清新の革新者、セシルテーラーがもっとも面白く聴けるのではないだろうか。ところで、今日からサッカーJリーグの待ちにまった再開である。是非とものテレビ観戦でありここらでこの稿終えることとしよう。