yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

トランペッター沖至トリオの『殺人教室』(1970)

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トランペッター沖 至(おき いたる) 1941年 兵庫県生れ。≪1965年関西から東京へ活動の拠点を移し、 1969年には富樫雅彦佐藤允彦らの実験的グループ「ESSG」参加し、ヨーロッパ演奏ツア一に同行、帰国後に自己のグループを率いて活動する。1974年にはパリに移り住み、一時はリヨンに住んでいたが、 1999年12月より再びパリに転居し、種々のバンド活動、セッションと積極的に活動している。≫(NET記事より引用)
今回のアルバムはこの沖至、翠川敬基(b/piano)、田中穂積(ds)によるトリオパフォーマンスである。現在、私自身が85年ごろ以降音盤から遠ざかっている所為もありその所在を詳らかにしないが、当時60年代後半フリージャズ系評論家として名を馳せていた副島輝人がポロデュースしてのマイナーレーベル、「Jazz Creaters」より1970年、自主制作アルバムとして出されたということである。≪幻の名盤中の名盤・・・“突出した前衛”≫ということである。
しょうじき私は、山下洋輔高柳昌行佐藤允彦など(失念度忘れがあるかもしれないが)以外強烈なインパクトを感じた覚えがない。もちろんそれなりにフリージャズは聴いてきてはいるけれど、ブログでも取りあげているヨーロッパ・フリージャズ、ペーター・ブロッツマンエヴァン・パーカー、ハン・ベニンク、デレク・ベイリー、ジョン・スティーヴンス、トニー・オックスレイなどなど主に英独、ヨーロッパ系のフリージャズ、それとアメリカでは唯一、アート・アンサンブル・オブ・シカゴなどを聞いていた所為か、さほど熱が入らなかったものである。どっちつかずの中途半端の印象が強かったのだ。
<空>と化すほどまでの<遊び=スサビ>への徹底性、アナーキーな破壊的な力が私には感じられず不満であった。其処では唯一山下洋輔のプロトジャズの激甚の疾走だけがそうした意を満たすパフォーマンスであった。
テクニック云々ではもうとうない。惚ける(ほうける)という言葉がある。「<空>と化すほどまでに<遊び=スサビ>ほうける」。たぶんこの一点、この欠如、不徹底ということなのだろう。スサビが招きよせる<空>に解消する<快=エロス>。あちらから音連れるものが希薄だったということだろう。けれど、これはこれで時代の成果であり否定はしない。私にとってそうであったというに過ぎない。沖至トリオ『殺人教室』(1970)。