<和>を奏でるデュオパフォーマンス。富樫雅彦『Song for Myself』(1974)
最初の一撃で決まりというところか。別にリズム刻むわけでもなく、ゴングの響きが、鉦の響きがはや日本である。この富樫雅彦(1940)のデュオ・パフォーマンスをメインとするアルバム『Song for Myself』(1974)の主調音は<日本>である。本人自らもそうしたことを演奏対者と共に希ってプレイしたことを述べている。一音に思いこめ、訥々としたその簡素ともいえる打楽器のパフォーマンスに、渡辺貞夫(1933)の手練に長けたフルートのインプロヴィゼーションが和ごころ満ちたメロディーを奏で<和>の風情、余情をいっそう募らす一曲目の『Haze』。二曲目は『Fairy-Tale』。テープで前もって録音された二人各々の≪トムトムによるパターンと、ピアノ低音部のプリペアド音源≫を富樫雅彦と佐藤允彦(1941)の二人が聞きながらのフリー・インプロヴィゼーション。才気に満ち、まったく美しい。そのプレ音源テープがイメージ喚起よろしくふたりに素晴らしい動きをもたらし、加速度効果をもたらしている。スピードと奥行き。絶えざる流動の中、素晴らしいセンスの佐藤允彦の速度感あふれるソロが、富樫の刻む何気なさ、遊び心さえ感じさせる、無心ともいえる軽やかな、しかしセンシティヴなドラミングともあいまって、加速もつパワフルな知性、やはり佐藤允彦はセンスが違う!と歓呼の一声もかけたくなるほどである。ピアノ・フリーインプロヴィゼーションの真骨頂ここにありとも言いたくなるほどの見事さである。さて三曲目は富樫雅彦のパーカッション・ソロ『Song for Myself』。アルバムタイトルでもある。彼いわく、ドンチェリーとの出会いがこのパーカッション・ソロに大きく影響寄与しているとのことである。ドンチェリー来日の折、約十日間、共に演奏する機会を得、ドンチェリーの音楽は、わが身の肉体的・精神的不随をめぐる苦悩のうちに思い描いていた音楽と同質のものを感じるところもあり、そうしたことから≪僕の内部に起こったさまざまの出来事を、音楽として、とどめておきたかった≫(富樫雅彦)その成果がこのソロパフォーマンスだということである。これは≪タネあかしをすると、三重録音なんです。まず、チェリーにもらった二つの鈴の音を採りました。続いてチェリーの音楽を構成していたルートとなるスケールを使い、メロディとパターンを、六つのトムトムで演奏しました。最後にそれを聴きながら即興したわけです。≫(富樫雅彦)このアルバムコンセプトがそうであるように宗教的スピリットに満ちた、安寧ともいえる風情でそれぞれの音が静やかにたたずみ生きている。まったく素晴らしくそれぞれが生きて、余情もつ響きのパーカッション・ソロである。クラシックではとうてい味わえない緊張と軽ろみの極みである。さて終曲、絶品の菊池雅章(まさぶみ・1939)のピアノと富樫雅彦とのデュオ・パフォーマンス。えもいわれぬほどの境地を体験させてくれることだろう。まったくこの絶妙の間をもって奏でられる菊池雅章のピアノは絶品と言いようがないほど素晴らしい。寡黙な音の背後にはなんと濃密な余情が漂よっていることか。ドビュッシーを極限までニホンした、とでも評したくなる和ごころの余情の美である。石と緑なす木々の配置絶妙にたたずむ日本式庭園に、静かに広がりまた沈む時間と空間、宇宙を模すともいう配置された石、その宇宙的意味をさえ抱かす石たちが、緑なす庭園にとき放ち、しんしんと沈み行く時間と空間、そのしじま。もちろん菊池雅章のピアノにも増して、富樫雅彦の清冽寡黙なまでのパーカッションの一音一音が、その菊池雅章の絶品を、間の絶妙を際だたせているのは言うまでもない。全四曲中このデュオ・パフォーマンスが私にはベストと思えるほどの出来栄えである。
Misterioso - Masahiko Togashi + Masabumi Kikuchi