yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

松下真一(1922-1990)の『シンフォニアサンガ・Sinfonia Samgha』(1974)

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こんにちでは、忘れられた作曲家なのであろうか。もっとも在世の時にあっても国内よりは国外での演奏機会が日本人作曲家のなかでは群を抜いて多く、名声評価が高かったそうである。死後の経年もあってかNETを覗いてもさほどの情報がえられると言うこともない。だがその活動歴、受賞歴等は華々しいものであった。松下真一1922大阪に生まれ、アインシュタインに魅かれ第三高等学校理科入学、しかし存在論哲学考究すべく文科入り望むも戦時局ゆえ叶わず、思想的にも深い解析集合論めざして九州大学理学部数学科入学終了、同大学院で研鑽積み、大阪市立大助教授を経て、のち主にドイツ・ハンブルグ大学理論物理学研究所にて研究に従事。以後半定住的に国外にて理学研究と作曲ともどもに活動。位相解析学の世界的オーソリティということである。1956年毎日音楽コンクール作曲部門管弦楽曲の部三位入賞。1958年二十世紀音楽研究所現代音楽祭作曲コンクール一位入賞。1959年、60年ローマ国際作曲コンクール連続入選。62年ウィーンISCM世界音楽祭入選。65年マドリッドISCM世界音楽祭入選。(秋山邦晴『日本の作曲家たち』1979年刊。巻末・作曲家名鑑より)惜しくも1990年世を去っている。その感性は主情に流されるのではなくやはり理知的な、しかし激するというのではなく新しい技法をたくみに使い洗練させて見事であり、くっきりとした音色と構成のはこびで聴かせる作品として私には聞ける。今回取りあげるアルバムは『シンフォニアサンガSinfonia Samgha』(1974)である。そのタイトルの響きから察せられるように仏教思想がベースとなっての音楽作品である。純粋の宗教音楽というより器楽作品である。≪サンガSamghaとは、漢字で僧伽と書かれ、仏陀とその弟子たちの集団の意味≫(松平朗)だそうである。作曲家松下真一は数理の世界で極微抽象の世界を研究対象としている人の常として、やはり「存在」「有と無」につきまとういわく言いがたい神秘に神を、仏を予感したのだろうか。70年代に入り、空、無、無常、宇宙などをめぐる仏教思想とりわけ古代インド哲学の成果であり大乗仏教の経典でもある「法華経」の思想をもとにした作曲に時間をさいている。その法華経には≪現代物理学との共通の思想がみられる。微塵珠(みじんじゅ)という仏たちの世界、永遠の相における「宇宙論」、しかも極微(ごくみ)の世界において生成消滅を絶えず繰り返していることへの省察――現代の素粒子論でいう対生成と対消滅の絶え間ない生起にあたる――このような不思議な共通性がわれわれを驚かす。これは人間のもっとも根源的な思考に、同じようにあらわれてくるものであろう。≫(松下真一『法華経と原子物理学』光文社カッパブックス)さて、作品『シンフォニアサンガ』は、天地未明始まりの予感をもってピアノ、チェレスタなどのきわめて弱い連打音にはじまる。静かに、またゆらぎをもってじょじょに神々しさたたえ上昇していく。見事なまでのスピルチュアルな導入部である。彼方より来たりて、また彼方へと去り行く音楽。仏とは斯く影向(ようごう)するのだといわんばかりの余情である。邦楽器などの使用も単に民俗性をうちだすというのではない汎東洋ともいえる扱いである。新しい音楽技法、トーンクラスターやグリッサンドなどが巧に、激するというそれでなく効果的に楽想にふさわしい音色変化をもたらすこととなっている。それらは手の内に消化、洗練された響きもたらすものとしてつかわれて違和がない。それにしても終結部、テープで流されていると説明されている14人の僧侶による「仏説阿弥陀経」の読経ユニゾン、その微妙なずれのそこはかとない音連れに、尺八の吹きぬける息は、予感として、世界の現前を告げる。大よそ演奏時間55分の大作であり、また1974年度の芸術祭優秀賞受賞作品でもある。

「無我なるもの、それはわたしのものではない。わたしのそれではない。わたしの我ではない。」

「耳ある者たちに甘露(不死、永遠の生命)の門は開かれたり、己信を棄てよ」

「滅することなく、生じることなく、断絶でなく、永遠でなく、単一でもなく、種々でもなく、来ることなく、去ることもないような縁起を説いた、最もすぐれた説法者である、かのブッダに、礼拝する」
               (ナーガルジュナ・龍樹 150―250頃)


二枚組みのこのアルバムにカップリングされている「7楽器のためのフレクス・ソノール」は65年マドリッドISCM世界音楽祭入選作品であり代表作品と目されているもの。<音の壁画>を意味しているようにここには、豊かな音色のうつろいをきく。だが模糊として主情に流れる響きではなく、音たちの構成整除されて、見事さに美しく響く余韻は、この作曲家のすぐれた個性なのだろうか。ここには密度高く精神の緊張強いる音の世界が確かに存在する。さいご、ちなみにこのアルバムに飾られている絵は香月泰男(1911-1974)のものである。極寒のシベリア捕虜収容所での抑留生活を強いられ、絶望の無念の思いで逝った人々の、その崇高なる死を収容所でかき集め作った墨で描いて、人々の魂を揺さぶる感動与えた香月泰男。彼が身罷ったのは1974年であり、この松下真一の『シンフォニアサンガSinfonia Samgha』が作曲発表された年であった。