yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『TOKKアンサンブル・東京』(1975)で一柳慧、入野義朗、石井真木、武満徹の作品を聴く。

イメージ 1

Maki Ishii - Hamon-Ripples [for chamber ensemble, violin, and taped music]

               

今回のアルバムは『TOKKアンサンブル・東京』(1975)である。この<TOKK>とは、東京音楽企画研究所の略称ということで、<音楽のこれからの方向を世界的な視野にたって探求し、それを種々な音楽活動を通じて実現してゆくことを目的とし>て、作曲家入野義朗(1921)、石井真木(1936)の二人によって設立された。<その主要な活動の一つが日本および諸外国のアヴァンギャルドの作曲家たちの作品をすぐれた演奏によって紹介する>ものであり、国内外での演奏活動を通じて世界の人々との交流をはかって行くといことである。このアルバムの武満徹作品以外の三曲がそうした演奏旅行のために作曲された。A面一曲目は一柳慧(とし)の『Music for Living Process』(1973)。横山勝也(尺八)、篠崎史(あや)子(ハープ)、山口保宣(やすのり)(打楽器)、小杉武久(電気ヴァイオリンほか)、一柳慧(ピアノ)という編成。ジョンケージのコンセプトをわが国に紹介し衝撃を与えた一柳慧(1933)。彼は留学渡米する前すでに、毎日コンクールに3回入賞し、その作曲家としての力量はしられれていた。とは謂うものの伝統的なそれであった。しかしケージと出会い、チャンスオペレーションの革新コンセプトを採り入れ作風を大きく変えることとなった。しかし骨格・才の確かなことは、今現在もすぐれた作品を発表し続けていることで証されている。単なるかぶれでなく、一流の証でもあるのだろう。さてこの曲、これはまたよい意味で、武満とはちがった、日本の余情の提示として興味深く新鮮で驚きの作品である。小杉武久の電気ヴァイオリンがなんとも言えず不思議なのである。あえて透明さを忌避しているように思える。鈍く沈んでいるのだ。くすんでさえいる。しかし起つところは立っている、それも鈍いエッジで。おおよその音響処理、響きが日本の鐘の音のように、鈍くそのしじまを破る。極力余計な余韻を端折っているのがかえって鈍び.色のくすんだ和の風情でおもしろい。さて二曲目はわが国に12音列での本格作品実践で先駆をなしたこのTOKKの設立者の一人入野義朗の『Stromung』(1973)。篠崎史(あや)子(ハープ)、山口保宣(やすのり)(打楽器)、小泉浩(フルート)という編成。邦楽器は入っていない。ウラジオストックで生まれ東京帝大経済学部を卒業、ほとんど作曲は独学するも、のち諸井三郎について基礎理論を学ぶ。戦後サラリーマン生活の後、華々しい各音楽賞の受賞で盛名得るも、革新の潮流12音列へと突き進むこととなった。この作品ではそうした時代を経ての自在境のうちに作曲されたという感じである。<流れ>というドイツ語の意味で、その意味するところ≪孔子のことば「ゆく者はかくのごときか、昼夜をおかず」をもとにしており、作品というものが、それだけで完結しているものではなく、その前後に無限に広がる流れの一部を切り取って呈示するものだ、という考えを示している。≫(入野義朗)ここには、きっちりと音がたっている。輪郭がはっきりしていることが作風の一つなのだろうか。際立ちをもくろむ明確な意志。ひじょうに対比的魅力に富む音の配置。これも特徴の一つなのだろうか。B面一曲目はもう一人のTOKKの設立者石井真木の『Nucleus』(1973)。鶴田錦史(琵琶)、篠崎史(あや)子(ハープ)、山口保宣(やすのり)(打楽器)、小泉浩(フルート)という編成。伊福部昭に師事、ドイツに渡りそこを根城に長く活動するも、エネルギッシュな作風と、和と洋との出遭いにおおくの果敢な作品を残した。この作品では幽玄の琵琶の響きと、幽冥に奏される尺八と、同質の西洋楽器フルートとハープとの各々の固有時の演奏空間での出会いを響きのうちにつくりだそうと言うことなのだろう。歴史は音によって語ることを自ずから欲する。尺八とフルート、琵琶とハープ同系の和洋の楽器はおのおのが共に自己に立脚し語る。そういった風情である。彼にしては比較的穏やかな作品となっている。さて最後は、武満徹の打楽器奏者のための『Munari by Munari』と『Corona for Pianist』(1962)の一柳慧(ピアノ)と山口保宣(打楽器)のグラフィックスコアーによる同時コラボレーションである。打楽器とピアノ。高橋悠治とは趣の違った面白みに満ちた一柳慧(とし)のパフォーマンスが堪能できる。聴きものといっていいほどのものである。ときたまみせる瞬激、緊張の時と空間のスライス、エキセントリズムには、いささかの俳句的感性とさえ思える音響空間への一閃の切り込みがみられ、その斬れ味は鋭く世界は開け存在する。ひじょうにエッジのあるパフォーマンスといえようか。一柳慧のピアノはすばらしい。