死の理不尽に拮抗し、存在が哭く<断念>と<拒絶>の詩人石原吉郎(1915-1977)
―――すなわちもっともよき人びとは帰っては来なかった(フランクル『夜と霧』)
≪死は、人間にとって最後まで不自然なものだ・・・・≫(石原吉郎『望郷と海』)
<花であること>
花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
<位置>
静かな肩には
声だけがならぶのでない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である
静かな肩には
声だけがならぶのでない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である
<足ばかりの神さま>
あぐらをかいているその男は
たしか神さまをみたことがある
おわりもなく
はじめもない生涯の
どのあたりにいまいるのかを
とめどなくおもい
めぐらしていたときだ
まあたらしいごむの長靴をはいた
足ばかりの神さまが
まずしげなその思考を
ゆっくりとまたいで
行かれたのだ
じつに足ばかりの
神様であった
あぐらをかいていたその男が
そのときたちあがったとは
どの本にも書いていない
(石原吉郎「サンチョ・パンサの帰郷」より)
<泣きたいやつ>
おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
自分の足首を自分の手で
しっかりつかまえて
はなさないのだ
おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
涙をこぼすのは
いつもおれだ
おれよりも泣きたいやつが
泣きもしないのに
おれが泣いても
どうなりもせぬ
おれより泣きたいやつを
ぶって泣かそうと
ごろごろたたみを
ころげてはみるが
おいおい泣き出すのは
きまっておれだ
日はとっぷりと
軒先で昏(く)れ
俺ははみ出て
ころげおちる
泣きながら縁先を
ころげてはおちる
おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
自分の足首を自分の手で
しっかりつかまえて
はなさないのだ
おれよりも泣きたいやつが
おれのなかにいて
涙をこぼすのは
いつもおれだ
おれよりも泣きたいやつが
泣きもしないのに
おれが泣いても
どうなりもせぬ
おれより泣きたいやつを
ぶって泣かそうと
ごろごろたたみを
ころげてはみるが
おいおい泣き出すのは
きまっておれだ
日はとっぷりと
軒先で昏(く)れ
俺ははみ出て
ころげおちる
泣きながら縁先を
ころげてはおちる
泣いてくれ
泣いてくれ
泣いてくれ
(石原吉郎『斧の思想』より<泣きたいやつ>)
このなんともやるせない切なさはいったい何なのだ。存在が哭いている。
≪死は、人間の側からは、あくまでも理不尽なものであり、ありうべからざるものであり、絶対に起ってはならないものである。そういう認識は、死を一般の承認の場から、単独な一個の死体、一人の具体的な死者の名へいっきょに引き戻すときに、はじめて成立するのであり、そのような認識が成立しない場所では、死についての、同時に生についてのどのような発言も成立しない。死がありうべからざる、理不尽なことであればこそ、どのような大量の殺戮のなかからでも、一人の例外的な死者を掘り起こさなければならないのである。大量殺戮を量の恐怖としてのみ理解するなら、問題のもっとも切実な視点は脱落するだろう。≫
≪死は、死の側からだけの一方的な死であって、私たちの側――私たちが私たちであるかぎり、私たちは常に生の側にいる――からは、何の意味もそれに付け加えることはできない。死はどのような意味も付け加えられることもなしに、それ自身重大であり、しかもその重大さが、おそらく私たちにはなんのかかわりもないという発見は、私たちの生を必然的に頽廃させるだろう。しかしその頽廃のなかから、無数の死へ、無数の無名の死へ拡散することは、さらに大きな頽廃であると私は考えざるをえない。生においても、死においても、ついに単独であること。それが一切の発想の基点である。≫(石原吉郎『望郷と海』筑摩書房・1972)
私たちは、他者とはこのような絶対的懸隔においてでしか、ついに単独者としてしか関われない。でなければどうして<無>などが舞い降りてこよう。また<信>など必要としようか。
――― ≪信仰は確信ではない。不安である。≫ ―――
この<断念>と<拒絶>の詩人石原吉郎(1915-1977)は、1945年(30歳)ハルピンでソ連軍に抑留され、反ソ行為諜報(スパイ)の理由により重労働25年の極刑を受け、極寒のシベリア各地での8年にも亘る、飢えと重労働の強制収容所生活を生きながらえ、スターリン死去による特赦によって1953年ナホトカより引き揚げ船興安丸にて舞鶴港に帰還。そのときすでに38歳であった。幾度もの帰国の望みが絶たれた失意のトラウマゆえか帰還船興安丸に乗り込むや連れ戻されはせぬかとの思いに、脱兎の如く一目散に船底に駆け込み、日本へとつながる海だ、まさしくその海だとつのる望郷に胸こみ上げ日本の土を踏んだそうである。船内では密告の前歴者に対してリンチが行われていたそうである。
≪強制収容所とは私が、人間の肉体と精神という、永遠に古くて新しい問題を、もっともラジカルなかたちでつき付けられた場所である。そこでは、精神と肉体の相克という古典的な位相は最初から脱落しており、肉体が精神を侮蔑し、ひたすらこれを遠ざかって行く過程の、不毛な積みかさねであって、肉体の側からみればそれは、強制収容所という極限状況へひたすら適応して行く過程に正確に照応している。適応とは「生きのこる」事であり、さらにそれ以上に、人間として確実に堕落して行くことである。≫
≪極限状況は、およそどのような教訓からも自由であるというのが、私が得た唯一の「教訓」である。人は教訓を与えられるために、極限状況へ置かれるのではない。人はそこでは、そのまま状況におしつぶされるか、かろうじてそこから脱出しうるかのいずれかになる。もしわずかに脱出しえたにせよ、帰って来たものは、何らかの形ですでに、人間としてやぶれ果てた姿だという事実を忘れるべきでない。一人の英雄もそこからは帰ってこなかったのである。≫
≪生き残るということは「死にそこなう」ことである。死にそこなうことによって、それは生きそこなう。≫(石原吉郎『海を流れる河』)
強制された絶対の日常にたたずみ、拮抗する生
≪「シベリヤの密林(タイガ)は、つんぼのような静寂のかたまりである。それは同時に、耳を聾するばかりの轟音であるともいえる。その静寂の極限で強制されるもの、その静寂によって容赦なく私たちへ規制されるものは、同じく極限の服従、無言のままの服従である。服従をしいられたものは、あすもまた服従をのぞむ。それが私たちの「平和」である。私たちはやがて、どんなかたちでも私たちの服従が破られることをのぞまなくなる。そのとき私たちのあいだには、見た目にはあきらかに不幸なかたちで、ある種の均衡が回復するのである。」(石原吉郎「失語と沈黙」)≫
なんと厳しく哀しい極限の、絶対服従としての「平和」であることか。
――≪どうなっても仕方のないもの。世界とはそういうものだ。≫――
<世界がほろびる日に>
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
(石原吉郎『禮節』より)