小倉朗『交響曲ト調』(1968年)。奇妙な印象のメインモチーフが、強迫観念めいて響いてくる交響曲。民族派めいていて、そうでもなく・・・。どうなのよ~。
失礼なことながら、いままでの投稿記事≪『現代日本の音楽―京都をとイメージした作品集』(2枚組・1978)。三善晃「オーケストラのためのレオス(Rehos)」(1976)を聴く。この頃の三善晃の音塊のもつエネルギーは、吹き上がる激情のよう。≫で小倉 朗(おぐら ろう、1916 - 1990)の
「オーケストラのためのコンポジション嬰ヘ調」(1975)を聴いており、
また≪『和波孝禧・邦人バイオリン作品集』(1978)LP2枚組み。もっともっとこうしたわが邦人の作品はあらゆる機会を得て聴かれるべき。≫では
「バイオリンとピアノのためのソナチネ」(1960)を聴き、
「弦楽四重奏曲 ロ調」(1954)を聴いているのだけれど、いまひとつメインにならず・・・。
きょうも、ひきつづき古いカセットテープのエアーチェック音源からの投稿。その件の作曲家・小倉朗の『交響曲ト調』(1968年)。
生涯ずーっと修学修練といったイメージで、苦闘ぶりを理解できなくはないのだけれど。それに先行世代のご苦労を貶める気などもうとうないのだが。
連れに、向こうから歩いてくるのは、あんたの親父さんじゃね~の?、と言われ「いや・・・。あっ、どうもこんにちは」と、連れの手前、ばつの悪そうな顔ですれ違う実の親子のような・・・。複雑な親子、肉親感情を思う。
この執ねく繰り返される気恥ずかしいモチーフ。マジメなだけに、この気恥ずかしさは?
ちょいと、おとっつあん・・・。