芥川也寸志『交響曲第1番』。冒頭第1楽章を耳にしたとき、エッ、これが日本人のオーケストレーションになるものなのかと、感嘆驚かされたのだった。名作!座布団1枚。
交響曲第1番
この作品は≪1954年に完成・初演された作品。翌1955年に改訂された。≫(WIKI)とのことだけれど、オーケストレーションがみごとで、すばらしく重厚な作品に仕上がっている。ただし最終4楽章を除いては。
作曲者のサービス精神、いや社会主義リアリズムへの目配せ気配りといった、50年代にあって、もっともな?時代的限界ゆえ(当時「社会主義イデオロギー」は進歩的文化人!の護符だったのだ)と・・・。私にはそう思えるのだけれど。
そのことは以前の投稿
で、以下記していた。
【 解説にもあるように、ソ連の音楽家たち、とりわけ私の聴くところではショスタコーヴィチなどの影響が顕著であるように聴こえる。こうした曲調ではオスティナートを多用しての特徴的なエネルギッシュなオーケストラ展開はのびやかに活きているとはいえる。自身、社会主義体制のソ連、中国への思い入れ強く、また実際に音楽活動も大衆の底上げに尽力したことに顕著であるように、時代性として、このような傾斜は彼の作品形成上無理からぬことであったのかもしれない。しかし、こうしたことで古典的作風にとどまったこと、いやとどまらざるを得なかったのかもしれないことは惜しまれること否めない。時代との齟齬感は日を追って厳しさをましていたことだろうことを、これら作品に聴くのは穿ちすぎだろうか。若き盟友黛敏郎や、若き才能ある人物として目をかけ、黛に紹介した武満徹らの革新凄まじい飛躍の同時代の歩みを、この徳多き良人、芥川也寸志は、思想的な音楽観と資質のリリシズムとの己がジレンマ、足枷の内に苦悩していかばかりであっただろうかと思えなくもないアルバム鑑賞であった。 】
写真画像:芥川也寸志とショスタコーヴィチ→
写真画像:芥川也寸志とショスタコーヴィチ→
と言うものの、作曲家自身にとっても、戦後日本音楽史にとっても、名作の栄誉を冠せられよう。それほどの出来栄えのすばらしい作品だ。
冒頭第1楽章を耳にしたとき、エッ、これが日本人のオーケストレーションになるものなのかと、感嘆驚かされたのだった。
「ブラームスの一番を聴かせてくれないか…あの曲の最後の音はどうなったかなあ」(病に伏す作曲家最後の言葉、WIKIより)