yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『転生 貴志康一作品集』。ドイツ人ソプラノ歌手が歌う日本人が作曲した日本(語)歌曲。歌詞の明瞭さにはもちろん無理があるとはいえ、音楽性において、ウタゴコロにおいて魅了された。

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赤いかんざし

               

赤いかんざし

赤いかんざし何故もの言わぬ。あたいがこんなに想てる事を、せめてお前が言わしゃんせ。赤いかんざし涙に濡れて。何でそんなに悲しそう。天神祭りの篝火をお前はちゃんと忘れたか。初めて逢うたあの人に、優しい声を掛けられて、ふとした想いが恋になり。“忘れよ”とても恋ゆえに、想い詰めたこのあたい。誰がこの恋知るものか。赤いかんざし何故もの言わぬ。あたいがこんなに想てる事を、せめてお前が言わしゃんせ。


イメージ 2わが地、大阪・都島は、俳人与謝蕪村の生地で知られているところでありますが、もうひとり、この地に所縁のある夭折の作曲家・貴志康一(きし こういち、1909 - 1937)がおります。ということもあって、町の図書館(わたしの実家の近く。それに貴志家の邸宅あった網島町は隣町。近松人形浄瑠璃心中天の網島」で知られたところでもあります)には小冊子の郷土資料(区役所発行)まで用意されている。

イメージ 3厳密に云えば出生地は母親の実家、大阪・吹田市の、いまや重要文化財指定となっている仙洞御料屋敷西尾邸(西尾家)。いわば、とてつもない大庄屋の係累であります。実業で成功、財を成した祖父と東大哲学科で美学を学び、芸術にも理解造詣の深かった跡継ぎの父親をもつという、およそ世俗の苦労には縁のない?御曹司(音楽史的天才のメンデルスゾーンがそうだった)。ぼんぼんであります。
貧乏、艱難辛苦(経済、生活において)が、必ずしもいい芸術を成果とするわけでもない。これだから、芸術はわからない。

ま、そんなことはともかく、きょう投稿する気になったのは、きのう投稿した≪間宮芳生『日本民謡集』。近代との対峙。その意気や了。けれど、歌い継ぐ伝承を支える、歌う歓び、快感、エロスのありやなしや。≫で、イヤミ、難癖つけた日本(語)歌曲のことを思ってのことだった。

戦前の1931-33年の間に、留学先のドイツの地にて作曲された(つまりは作曲家21才から23才)歌曲を、ドイツ人ソプラノ歌手・マリア・バスカ Maria Bascaなる声楽家が歌唱しているのに魅了されたからだった。歌詞の明瞭さにはもちろん無理があるとはいえ、音楽性において、ウタゴコロにおいて、かくあるべしと・・・。

よく、日本語の自然なイントネーション、アクセント、リズム等々と西洋音楽とは本来合わないウンヌンなどと云われ、はたして日本語での歌曲は・・・と。
しかし、このドイツ人のマリア・バスカの歌には伸びやかさ、歌う悦び、ウタゴコロを感じるのだけれど。日本語歌詞の厳密さはともかく。



風雅小唄


風雅小唄

彩に美し美の女神、見れば想いも増す鑑。映す姿に焦がれ寄る、風雅男に群れこそは。ほんに嬉しい風雅の集い。京の寺々花の春、奈良や龍田の宮の秋。想う夢殿三輪の山、登る旅路も趣味の友。ほんに楽しい風雅の集い。白酒黒酒の昔より、薫り往かしきみかのはら。湧きて流るる泉かや、風情尽きせぬ酒の友。ほんに嬉しい風雅の集い。




『転生 貴志康一作品集』

13の歌曲
「かもめ」「八重桜」「天の原」
「赤いかんざし」「行脚僧」「かごかき」
「花売り娘」「風雅小唄」「芸者」
「つばくら」「富士山」「さくら」「力車」

「日本スケッチ」より
「市場」「夜曲」「面」「祭り」

原録音:貴志康一 指揮 
マリア・バスカ(ソプラノ)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団



イメージ 4※ ところで、貴志といえば猫駅長タマで賑わしたのでした。この地は父方の出自だそうで。

貴志康一 (KOICHI KISHI) 「竹取物語


戦直後、日本人初のノーベル物理学賞湯川秀樹受賞レセプションで演奏されたよし。