yuki-midorinomoriの日記

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芥川也寸志『チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナート』(1969)。

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芥川也寸志『チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナート』

               

F・メンデルスゾーンは、手紙のなかでこう書いている。<……きっとあなたは私のことを、いつも不平をブツブツつぷやき続けている、バッソ・オスティナートのようだと思いはじめるに違いありません。そしてついには、うんざりしてしまうでしょうね……。>(Grove)

オスティナートによる、不朽のシャコンヌや、パッサカリアを書いたJ・S・バッハの、深い理解者であった彼でさえ、オスティナートは<うんざりする>ような存在であった。ロマン派の作曲家たちに見はなされていたオスティナートは、I・ストラヴィンスキーを筆頭とする二十世紀の作曲家たちによって、一応、復活の場を与えられた。しかし、かってJ・S・バッハによって、たとえば<パッサカリアハ短調>において用いられたように、作曲家の論理を強め、完結させるための名誉あるオスティナートの地位は、いまだに回復されてはいない。現代にあって、私はオスティナートに、単なる修辞学的技法以上の意味を与え得ると思っている。
                             (芥川 也寸志)


3年以上も前に以下、芥川 也寸志(あくたがわ やすし、1925 - 1989)のアルバムを投稿している。


http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/43276645.html 思想的音楽観と資質のリリシズムの足枷にジレンマを聴く『芥川也寸志・作品集』(NAXOS盤)

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/58028002.html 芥川也寸志管弦楽選集2』。オスティナートへの、それこそ字義どうり執拗なあきれるばかりのこだわり。


そして、『管弦楽選集2』で、きょう投稿する『チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナート』を以下感想を記していたのだった。


【 このアルバム収録曲で私が気に入った作品は≪芥川に珍しい苦渋に満ちた感情表現≫を聴くことが出来る『チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート』(1969)だった。この線でいけばもっと奥深い重量級の作品を遺せたのではないかと思えるのだが・・・。そうした印象は投稿済みの≪思想的音楽観(社会主義リアリズム)と資質のリリシズムの足枷にジレンマを聴く『芥川也寸志・作品集』(NAXOS盤)≫として述べておいた。 】


「この線でいけばもっと奥深い重量級の作品を遺せたのではないかと思えるのだが・・・」

斯く思わせるほどのいい作品だと今回聴きなおしてみて再度思ったことだった。


ほとんど独学で作曲家を目指した武満徹を、その才能ゆえ世に出るべく後ろからそっと支えた兄貴分的存在に、この芥川也寸志黛敏郎の二人がいたことは夙に知られたこと・・・。楽風におおきな違いがあるのだけれど。




芥川也寸志『チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナート』