yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

西村 朗 『作品集』。響きの追求、その造形、ソノリティへの並々ならぬ関心。響き、音に酔う、自己陶酔、その激しさ。

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Akira Nishimura (西村 朗), Threnody (1998) for cello solo 悲歌(独奏チェロのための)

            
            投稿音源のものではありません。

イメージ 2西村 朗(にしむら あきら、1953 - )。先ず第一印象。響きの追求、その造形、ソノリティへの並々ならぬ関心。響き、音に酔う、自己陶酔(芸術家ならだれしも多かれ少なかれそうなのだろうけれど)、その激しさ。といったところか。そう陶酔だ。よくもまあこれだけの身振りの大きい音響体を次から次へと繰り出し奏でることよといった感想だった。ただこうした大掛かりな仕掛けにも様ざまな創意と才、研鑽が背景に確然としたものとしてあるせいか、その音響体の魅きつける力は相当なものだ。ところで≪野田暉行矢代秋雄に師事≫(WIKIPEDIA)とは意外ではあるけれど。むしろ、先年物故された松村 禎三的世界のスケール感と造形意志の相同を感じたのだけれど。ともあれ、1974年若くして「第43回日本音楽コンクール作曲部門第1位」を受賞した、そのセンス、才能、切れ味もむべなるかなと思わせはする。ところで、最近常々ブログ投稿記事でも言っているように、正直私は、現代音楽に興味を持って聴いていた時期の70年代は、この作曲家や、旋律回帰志向を鮮明にしての≪シュトックハウゼンクセナキスなど、無調音楽を中心とする現代音楽の非音楽的傾向に反旗をひるがえし、「現代音楽撲滅運動」と「世紀末抒情主義」を提唱。≫していると聞き及ぶ、どうやらこの作曲家と同年生まれの吉松隆、などだけではないが、情けないことに、その他多くの今現在活躍している作曲家たちの作品をあまり聴いてこなかった。どちらかといえば彼らの師にあたる世代の作曲家たちが鑑賞対象だった。拙ブログ投稿記事の登場作曲家を見て分かるとおり、このように世代ギャップがはなはだしい。それと、85年央以降現代音楽への興味情熱がうせた時期的なことが、このような作曲家たちをあまり知らないで今に至っている要因でもあるのだろう。その名を、存在を、ある程度認知してはいても作品を聴く機会をほとんど逸してしまっていたのだ。そうした意味で、最近《カメラータ・コンテンポラリー・アーカイヴズ》より廉価盤で、今回取り上げる『西村 朗 作品集』などが出されたことは、私の空白域を埋めるきっかけを与えてくれた好企画であり感謝である。安いのが何よりだ。そうであってこそ聴くチャンスも増えるというものだ。遅まきながら、おいおい聴く機会を増やしたい作曲家であり、作品群との印象を強くした。



収録曲目
[1] 光のマントラ~女声合唱とオーケストラのための(1993)
[2] 太陽の臍~オーケストラと篳篥のための音楽(1989)
[3] タパス(熱)~ファゴット、打楽器と弦楽のための協奏曲(1990)




西村朗関連投稿記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/53652658.html 西村朗『蓮華化生・西村朗オーケストラ作品集Ⅰ』(1998)。地に這い拡がり、荘厳に天轟かす超限神慮の響き。ネオロマンティスト、至高の音響体への自己投企。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/53568078.html 西村朗の作品集『光の鳥・西村朗の音楽V』。音響派ナルシスの心地よい増殖的響き。