yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

松下眞一『星たちの息ぶき』(1977)。冷たく透き通り、煌き、鋼のように美しい音たち。絶対零度に身を横たえ消えなんと空しう思慕する音たち。

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「無我なるもの、それはわたしのものではない。わたしのそれではない。わたしの我ではない。」                             阿含経典(あごんきょう)

イメージ 2タイトルが『星たちの息ぶき』だから,という訳でもないだろうけれど、ふと絶対温度という言葉がイメージされた。宇宙の温度がほぼ絶対零度に近い、モノみな動かざる絶対静止のうちの死というイメージがしたのだ。ネットで【宇宙の温度は?・・・ 宇宙はとても冷たい世界です。今の宇宙の温度は、-270.4度と観測されています。太陽のような恒星の温度がいくら高くても、それぞれの星をとりまく星間はあまりにも大きいので光は薄まります。したがって、宇宙は冷たいのでしょう。】とあった。また、≪古典力学では、エネルギーが最低の状態とは、原子の振動が完全に止まった状態である。ただし、現在では、この考えは間違っているとされている。量子力学では、不確定性原理のため、原子の振動が止まることはなく、エネルギーが最低の状態でも零点振動をしている。・・・≫・・≪零点振動(れいてんしんどう、ゼロ点振動とも言う、Zero-point motion)とは、絶対零度においても原子が不確定性原理のために静止せずに振動していることである。≫(WIKIPEDIA)とあった。いわゆる≪ゆらぎ≫ということなのだろう。ま、そのようなことはともかく、今日取り上げる作曲家・イメージ 3松下眞一(まつした しんいち、1922 - 1990)は物理学者でもあった人物である。≪1922大阪に生まれ、アインシュタインに魅かれ第三高等学校理科入学、しかし存在論哲学考究すべく文科入り望むも戦時局ゆえ叶わず、思想的にも深い解析集合論めざして九州大学理学部数学科入学終了、同大学院で研鑽積み、大阪市立大助教授を経て、のち主にドイツ・ハンブルグ大学理論物理学研究所にて研究に従事。以後半定住的に国外にて理学研究と作曲ともどもに活動。位相解析学の世界的オーソリティということである。≫(拙既ブログ投稿記事松下真一(1922-1990)の『シンフォニアサンガ・Sinfonia Samgha』(1974)より引用)。このような学識が抱く、しかも、「法華経と原子物理学」といった著作や、宗教音楽作品を造形する観念の抱く宇宙、星、存在などのイメージが、透き通った、いささか非人間的な(人間性を突き抜けた)冷たいイメージがしたところで、あながち的外れともいえないだろう。もっとも、たんにこの作曲家の依拠するところが無調、セリエールのしからしむるところ、その結実と括ってしまえば済んでしまうことではあるのだが。≪「旋律の復権」「旋律という視座から新たな地平を拓こうとする試みである。」(新実徳英)≫や≪無調音楽を中心とする現代音楽の非音楽的傾向に反旗をひるがえし、「現代音楽撲滅運動」と「世紀末抒情主義」を提唱。≫(WIKIPEDIA)する吉松隆などの旋律回帰、その成果を結構なこととしつつも、この≪無調、セリエール≫の冷たさ、その美学も、冷え寂び同様、ことのほか美しく思う感性も、捨てがたいというより、在っていいものだ。冷たい情熱の世界というのも在るということで・・・。

「氷ばかり艶なるはなし。苅田の原などの朝のうすこほり。古りたる檜皮の軒などのつらら。枯野の草木など、露霜のとぢたる風情、おもしろく、艶にも侍らずや」(心敬『ひとりごと』)

  雪 ち る や 穂 屋 の 薄 の 刈 残 し  芭蕉

冷たく透き通り、煌き、鋼のように美しい音たち。≪花の輪郭は鋼鉄のようでなければならぬ≫(石原吉郎
絶対零度に身を横たえ消えなんと空しく思慕する音たち。

<ねえ、口で伝えられる物語のように移ろい行き、溶けて幻に似た無に近づく物質の将来について語ろうじゃありませんか。>稲垣足穂)



収録曲
1.ゲシュタルト(1972)
2.11楽器のための「3つの時間」(1959)
3.ピアノのための「スペクトラ4番」(1971)
4.室内楽のための「星達の息ぶき」(1969)



備忘録として――
武満徹と日本の作曲