yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

デレク・ベイリー『ソロ・SOLO』(incus2/1971)。≪あらゆる様式と美と解放が聴こえてくる≫ためには音速ではなく光速に擬せられもしよう≪「速く考えられること」≫の前人未到の敢然が必要だった。

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derek bailey playing the guitar 1983

        

イメージ 2「俺が夕焼けだった頃、妹は小焼けだった。オヤジが胸焼けで、お袋が霜焼けだった…わかるかな? わかんねぇだろ~な~」とは、今はどうだか知らないけれどアフロヘアーであごひげたくわえた漫談家松鶴家千とせ(しょかくやちとせ)の一世を風靡したセリフだった。別に今日取り上げる稀代のギタリスト。フリーというよりノンイディオマティックインプロバイザーで超然とフリージャズ史にその名をとどめているデレク・ベイリー Derek Bailey(1932-2005)のその音楽、の世界が「わかるかな? わかんねぇだろ~な~」などといい募って悦にいっているわけでは毛頭ない。本来が分かる分からないの次元の問題ではないのだから。ともかく分かる分からないを通り越して降り注いでくる、その不思議なランダムネスのえもいわれぬ美に見舞われた聴者は、イワクいいがたく「わかるかな? わかんねぇだろ~な~」との言葉がつぶやきのごとく口をついて出てくることだろう。その美は冷ややかに無秩序のうちにやって来るのだった。それゆえ【「氷ばかり艶なるはなし。苅田の原などの朝のうすこほり。古りたる檜皮の軒などのつらら。枯野の草木など、露霜のとぢたる風情、おもしろく、艶にも侍らずや」(心敬『ひとりごと』)】のような冷え寂びに例えて述べたこともあった。、すなわち、つぎのようにだ、≪無根拠な、無に充溢する空・虚へとなだれ込むランダムネスの透き通った放心の美。デレク・ベイリー『IMPROVISATION』(CRAMPS/1975)≫などと言ったように。あるいはまた≪<ウツ>のはてに雪崩れ込んでくる放心の充溢。インテンシヴな冷たい情熱・パトスに満ちたインプロヴィゼーション・ジャズ『The Music Improvisation Company 1968-1971』≫とのように。どうしてもこのようなイメージから離れられないのだった。いや、これに尽きるのだと言ってもいいのでは・・と私は思っているが。今になってもこれ以上のことばが紡ぎ出せないのは少々難儀なことではあるけれど。≪あらゆる様式と美と解放が聴こえてくる≫≪それはまるで禅かアナキズムか、さもなければ静かな革命のようなのだ。≫とは、このデレク・ベイリーの即興音楽世界を目の前にして驚嘆の感動を綴った松岡正剛のことばだった。

≪ぼくはおそるおそる訊いてみた。あんなに集中しているのは、何に集中しているからですか。愚問だったろう。が、ベイリーはすぐに答えてくれた、「速く考えられることに、ね」。≫松岡正剛

そうなのだ。音楽を縛り付けている既制のあらゆるフォーム、イディオム、はてはコンセプトなどなどからの超出、つまりは≪あらゆる様式と美と解放が聴こえてくる≫ためには音速ではなく光速に擬せられもしよう≪「速く考えられること」≫の前人未到の敢然が必要だったのだ。








derek bailey solo part 1/3 (from bailey+brotzmann+sabu)