ピーター・ミヒャエル・ハーメル『NADA』(1977)身を横たえての陶酔没我、瞑想、涅槃へのモドキに恰好な音楽。
以前、≪ピーター・ミヒャエル・ハーメルらのグループ「BETWEEN」による『DHARANA』(1977)。非西欧的旋法によるエキゾチックな瞑想的メロディーの親しみやすいミニマル・ミュージック。≫とタイトルうって投稿した、そのピーター・ミヒャエル・ハーメル Peter Michael Hamel(1947-)のソロアルバム『NADA』(1977)。主調は≪非西欧的旋法によるエキゾチックな瞑想的メロディーの親しみやすいミニマル・ミュージック。≫であることに変わりはない。私だけではあるまい、瞑想とくればドローン(持続音)である。どうしてなのだろう。たぶん生理的な何かがありそうだ。≪安静(リラックス)≫時に顕著に出されているというアルファー波が関わっているのだろう。ヘッドーフォーンでリラクゼーションして聴くにはもってこいの心地よい<癒し>のサウンドであり、身を横たえての陶酔没我、涅槃へのモドキに恰好な音楽といえよう。それにしても、毎度のことながら瞑想とくればインド音楽とあいなる。この連想はどこから来るのだろう。(ところで、この前たまたまラジオから作曲家・吉松隆の筝の現代邦楽作品が流れていて、これはいいと思った曲があった。まるでシルクロードのアジアがノスタルジックに響いてる感じだった。そもそもの楽器の源流?類縁がサントゥールにあるのだとすれば、日本音階にこだわる必要などないのだとの思いがしたいい作品だった。開放されるべきだったのだ。いままでの現代邦楽作品に較べれば<日本>なるものを突き破った格段の感性拡張の試みとして面白ものだった。)
「困難な時期にある友に贈る詩」 この暗い時期にも いとしい友よ、私のことばを容れよ、 人生を明るいと思うときも、暗いと思うときも、 私は決して人生をののしるまい。 日の輝きと暴風雨とは 同じ空の違った表情に過ぎない。 運命は甘いものにせよ、にがいものにせよ、 好ましい糧として役立てよう。 魂は曲がりくねった小道を行く。 魂のことばを読むことを学びたまえ! 今日、魂にとって苦悩であったものを 明日はもう魂は恵みとしてたたえる。 未熟なものだけが死ぬ。 他のものには神性が教えようとする。 低いものからも、高いものからも、 魂のこもった心を養うために。 あの最後の段階に達して始めて 私たちは自己に安らいを与えることできる。 その境に至って、父に呼ばれつつ 早くも天を見ることができる。 「ヘッセ詩集より」(訳詩はネット記事よりお借りしました)
A1 Nada 6:20
A2 Silence 5:15
Composed By - Peter Michael Hamel
Design - H. J. Kropp*
Photography [Backcover] - Werner Bethsold
Technician [Sound], Producer - Ulrich Kraus
Synthesizer - Anatol Arkus , Ulrich Kraus
Synthesizer, Organ [Electric] - Peter Michael Hamel A2 Silence 5:15
Piano [Prepared] - Peter Michael Hamel
A3 Slow Motion 5:00
Piano - Peter Michael Hamel
B Beyond The Wall Of Sleep 23:40
Synthesizer, Organ [Electric] - Peter Michael Hamel
CreditsComposed By - Peter Michael Hamel
Design - H. J. Kropp*
Photography [Backcover] - Werner Bethsold
Technician [Sound], Producer - Ulrich Kraus