yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

西村朗の作品集『光の鳥・西村朗の音楽V』。音響派ナルシスの心地よい増殖的響き。

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Akira Nishimura: Fantasia on Song of the Birds

           
           投稿音源のものではありません。

イメージ 2ひとまず、サッカーワールドカップ予選のタイ戦を眼前にしての対ボスニア・ヘルツエゴヴィナ親善試合が岡田ジャパンの完勝であったことを報告しよう。緻密でスピーディーなパス回しなど見ていると大阪・ガンバのスタイルを髣髴させる。別に両監督が早稲田の先輩後輩ということに関係はないのだろうけれど。目指すところは同じだという事なのだろう。オシム前監督の回復を思わせる映像も見られ喜ばしい事だった。というように、テレビでのサッカー観戦を終えてのブログ投稿となった。中央図書館のCD予約貸し出しで、西村朗の作品集『光の鳥・西村朗の音楽V』が届けられた。「西村朗の音楽V」とある。なるほど添付解説書の奥付けのページにⅠからⅣまでのアルバム紹介があった。Ⅰ.「光の蜜」。Ⅱ「光の鏡」。Ⅲ「光の波」。Ⅳ「静寂と光」。そして今日取り上げるⅤ.「光の鳥」といった具合だ。すべて光と付いてタイトルされている。作曲者の意図かどうかは分からない。時期をおかずの出版だから、その人気のほどが窺えるというものである。こうなるといささかの食傷と、やっかみもおころうというものだ。いや私がではないが。拙ブログに登場している作曲家達は、若かりし頃の蒐集レコードの聴きなおしということもあって、もう少し世代が上の者たちばかりだ。何せいつも言っているように85年央頃以降現代音楽から遠ざかっていたので、この頃以降にブレークした作曲家たちの作品は、最近になって聴くものばかりだ。マンネリ、食傷になるほどに多く聴いているわけではない。といいつつも、≪いつものようにさまざまなテクスチュアが美しくも重層的に流れ,{彼方から}旋法的な旋律が聴こえ,高揚する。だけどこんなに安心の定番でいいの?≫といった評言がネット通販ページのレヴューで見られるのも、多少肯けるものがないではない。スケールたっぷりの心地よい音響派、親しみやすさ、分かりやすさを特徴とする音響派であるがゆえの?、そこに内省、屈折した奥深さ、余韻、余情の深さのあるやなしやが問われるという事なのかもしれない。音響に引きずられ(すぎ)た音楽空間のオートマティックな増殖に、これでいいの?との呟きが口をついて出てくるのかもしれない。いみじくも≪・・・(自分をとりまく自然の音に耳傾け、音楽を紡いだ―引用者注)ヤナーチェクとはちがい、彼は外界の自然とか、その光景、物語、風物にはまったく興味がなく、宇宙人的インスピレーションのフィルターを濾過された、闇とか光とかの粒子に耳を傾けるのだ。・・・≫(解説・実相寺昭雄)との音楽姿勢、スタンスが比喩的に指摘されている。とはいえ、しかしこれだけ立てつづけにアルバムが出される事は、その音響派としての力量の並々ならない事の証左なのだろう。


収録曲―
[光の鳥](1994)
[黄昏の幻影](1995)
交響曲第2番[三つのオード](1979)