yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

十二音技法で先駆した入野義朗(1921-1980)『弦楽六重奏曲』(1950)。古典的な堅固で自立的造形美はことのほか美しく懐かしい。

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イメージ 2諸井三郎(もろい さぶろう、1903 - 1977)を師とする。このことは時代潮流を考えれば、これだけでも、情緒に感性ゆだねる民族派潮流とはちがった、論理世界、絶対音楽での音響構造構築が根幹にあるとイメージされる。まさにその通りだ。≪我が国ではじめて十二音技法を用いて本格的な作品を書く作曲家≫(解説・菅野浩和)として戦後登場した入野義朗(いりの よしろう、1921-1980)。≪57年、柴田南雄黛敏郎、諸井誠らと「20世紀音楽研究所」を創立し、海外の新しい動向を紹介する。≫(PTNA)この戦後間もない時期より、西欧の音楽動向を、だがそれはダルムシュタット世代に与するほどの急進ではなかったそうだけれど。なんでも友人の作曲家、戸田邦雄が戦時抑留されていたベトナムの捕虜収容所で手にし、読み、持ち帰ってきたルネ・レイボヴィッツRené Leibowitz(1913 - 1972)の十二音技法に関する書物との出会いが、世界の新しい音楽潮流、十二音技法への取り組みの大きな指針となったそうである。

≪もし、その人が居なければ、私達の周囲(まわり)にある風景は随分違ったものになっていただろう、という日本の作曲家を私達は幾人ももっている。若し、入野義朗氏がいなければ――と、私は考えてみる――、戦後日本の作曲界は、疑いもなく、一つの大きな余白を残したまま今日に至ったであろう。・・・≫(解説・金子篤夫)

≪音に纏わる情緒、音が約する黙契をむしろ極力排除した彼岸で音が音のみによってのみ成就され得る自律的世界をひたすら追求してこられたという点で市の存在は極めて大きな意義をもつ。・・・≫(同上)

この指摘は、まず妥当な音楽史の総括認知だと思われる。今日取り上げる、このアルバムに収められている『弦楽六重奏曲』(1950)など、古典的堅固さがもつ音楽世界の確かさと、その機能的な構造美に感じ入る事しばしだ。先の≪音に纏わる情緒、音が約する黙契をむしろ極力排除した彼岸で音が音のみによってのみ成就され得る自律的世界≫。その自立した、削ぎ落とされた音の美はいまや、聴くべき古典として現前している。

≪目標へ向かって見事な機能美を描く氏の音、堅固な造形美、剛毅さ、・・・この正統的な――と呼ぶならば――道こそ、日本の風土にとって稀な、それ故に、貴重な大道であった。≫(同上)

そうなのだろう。師の 諸井三郎、そしてこの入野義朗。こうした作曲家のもつ古典的≪堅固な造形美≫はことのほか美しく懐かしい。