yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アルフレット・シュニトケ『KREMER plays SCHNITTKE』(1986)。感性の迸りと彫琢、圧倒的なオーケストレーション、そのボリュームとテンションの持続力。その支える精神を前にたじろぐ。

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Kremer plays Schnittke - Concerto Grosso No. 1

            


   あまねく世界に神は存在し
   あまねく音楽にバッハは存在する

   人が曲を書くとき、人は世界を作り出しているのである・・・

   表現に値しない音楽の素材など一つもない・・・

   生そのもの、我々を取り囲むすべてのものが、
   かくも複雑な様相を呈しているので、
   そのすべてを呼び出そうとするなら、
   我々はより一層誠実になるだろう・・・

   聞き手が何を理解し、何を理解しないかは
   聞き手自身の決定に委ねるとしよう。

              アルフレート・シュニトケ


Schnittke Choir Concerto - Radio Toast for Cancer Research


イメージ 2前にも評したかもしれないけれど、いやはや堪らないね!といった言葉が口をついて出て来る。圧倒的なオーケストレーション、そのボリュームとテンションの持続力。その支える精神を前にたじろぐと言ったところだろうか。ここまで自信を持っての世界構築は、私たちにとっては遠い世界であるのかもしれないという思いを抱かせる。多様式主義、その極致であるのだろう。。様式のつなぎ目に違和のない見事さ。それにしても何という厳しい世界だろうアルフレット・ガリエヴィチ・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934 - 1998 ハンブルク)。ブログには以下の4稿がすでに投稿されている。そんなに長くは無い作曲活動歴のなか、その膨大な作品群を前にしては恥ずかしいばかりの鑑賞数でしかないけれど、感受し紡ぎだした言葉の数々は、今回取り上げたアルバム『KREMER plays SCHNITTKE』(1986)にも揺らぐことはなかった。というより、むしろそれ以上の言葉が紡ぎ出せなかったというのが正直なところだ。




アルフレット・シュニトケの「チェロ協奏曲第1番」(1985-1986)。保守的な様式に通奏する沈鬱な翳りをもつ響きに、九死に一生の透徹した<死>への、翻って<生>への眼差しを聴く。

このアルバム、『KREMER plays SCHNITTKE』とタイトルされているようにギドン・クレーメル( Gidon Kremer, ラトビアのリガにて1947 - )の技が冴えにさえまくって、そのヴィルトージティが聴きものとなっていると思える。いや、彼の、ロシアソ連邦同胞への、その才能への思いが溢れているような愛と迫真が迸り聴こえてきて胸をうつ。
「Alfred Schnittke (作曲), Gidon Kremer (指揮, Violin), Heinrich Schiff (指揮), Chamber Orchestra of Europe (合奏), Yuri Smirnov (Harpsichord, Piano), その他」とのクレジットが見える。こうしたことからもアルバムへの意気込みが感じられる。


収録曲
1. Con grosso No.1: 1. Prelude: Andante
2. Con grosso No.1: 2. Toccata: Allegro
3. Con grosso No.1: 3. Recitativo: Lento
4. Con grosso No.1: 4. Cadenza [without tempo marking]
5. Con grosso No.1: 5. Rondo. Agitato
6. Con grosso No.1: 6. Postludio. Andante-Allegro-Andante
7. Quasi una son
8. Moz-Art a la Haydn
9. A Paganini


合奏協奏曲 第1番≫(1977年)を以前放送で聴き感激しての購入だった。これも昨日取り上げた吉松隆の「作品集」と同じくタワーレコードで買ったもので、黄札のバーゲンで1,290円という安さで手にしたもの。やはり聴く人が少ないということなのだろうか。残念なことだけれど。これも好き嫌いと言うこともあり・・・これ以上は言わないことにしよう。