yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

吉松 隆『作品集』。くすぐる壷を心得た作曲家の心地よいメロディアスな音楽世界。

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Gerard Cousins performs 'Canticle' by Takashi Yoshimatsu

        

イメージ 2残念ながら、80年以降にブレークして現代音楽シーンに登場してきた作曲家に関しては、はなはだ知識が不足している。85年以降レコード蒐集の断念および興味をというか情熱を失ってしまったせいか、けっこう年嵩のいっている作曲家さえ知らないでいる。この音楽ブログを始めて、断念以降の現代音楽シーンの幾分かを知るにおよんで冷や汗をかいている始末である。今日取り上げる吉松 隆(よしまつ たかし、1953- )もそうした一人だ。先日墓参りの帰りに久しぶりにタワーレコードに足を運んで一枚1050円で「カメラータ・コンテンポラリー・アーカイヴズ現代日本人作曲家シリーズの全10タイトルなる存在を知った。そのシリーズのうちの一枚がこの今日取り上げる『吉松 隆作品集』だ。この作曲家は≪無調音楽を中心とする現代音楽の非音楽的傾向に反旗をひるがえし、「現代音楽撲滅運動」と「世紀末抒情主義」を提唱。≫(WIKIPEDIA)していたり武満徹批判を果敢していることは聞き及んでいた。ミニマルの切り開いた良いとこ取り(「プレアディス舞曲集」)を棚に上げて、まったくアホなことを言っているとの思いはしていたし、今でもそう思っているけれど。たんに、多くの人々に聴いて欲しくて革新、実験、破壊をやっているわけでもなかろう。内発的な動機による革新もあることだろう。それはそれで変革の実践意義はあるわけで、それを認めつつ自分の主義を主張、作曲展開すればいいだけのことで、声高に≪「現代音楽撲滅運動」≫などとことさらに言い募ることもないだろうと私は思うけれど。どんなものだろうか。多様な展開(あらゆる試みはなされるべきだし、認められるべきだろう)でいいのだと思うけれど。ネオロマンティシズムの作曲家にして、そのような偏頗に意固地なことを言い募っている作曲家を私は寡聞にして知らない。こういうのを大衆迎合主義と政治の世界では言っていることだ。それはともかく、これだけ耳障りのいい作品(心地よさをもたらすパターンのパッチワーク的作品と言えなくもない)ならファンも多いことだろう。久石譲の作品を好んでおられる方々なら何の違和もなく受容でき、そのメロディアスな音楽世界は心地よく胸に響くことだろう。くすぐりながら人気作曲家の名を今以上に獲得することだろう。邦楽作品の「双魚譜・尺八と二十絃のための四つの古典的寓話抄」(1986)などを聴くにつれ、くすぐる壷を心得た作曲家との思いを強くする。