アルフレート・シュニトケ『シュニトケとの対話』(春秋社・2002)。「あまねく世界に神は存在し あまねく音楽にバッハは存在する」。
だいぶ昔のことだけれど、≪何を始めるにも何をやるにもよくないとされる大殺界≫(WIKIPEDIA)だの天中殺だのと云ったことばが流行ったことがあった。まさにその星の下、巡りあわせにいま私はあるらしい。未だによからぬことがつづいている。今日もトラブルの後始末で、土日返上の仕事がまたまたすっきりしない。ふと先のことばが頭をよぎったのだった。壊れたコンピュータの事は<殺界>を抜けての一段落ついてからとしても、帰宅してからのブログ投稿には時間が足らず不自由な事この上ない。とまぁ、鬱陶しいボヤキはこれぐらいにして、今日は中央図書館で予約していた本が届いたので、それに関しての投稿で終えることとしよう。その届いた予約本とはこのブログでも幾稿か取り上げた、旧ソ連の多様式主義とされる作曲家アルフレット・ガリエヴィチ・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934 - 1998 ハンブルク) に関する書物だ。じつはこの本『シュニトケとの対話』(春秋社・2002)を読もうと思ってと云うより、NHK・FMの「現代の音楽」を担当している作曲家、西村朗が、以前シュニトケの作品紹介放送のときに、印象深い文章を、この書物よりの言葉として謳いあげていたのが、そもそものきっかけだった。それほどに感じ入ったことばだったのだ。もう一度カッチリと、その印象深くしたことばを舌に転がし味わいたくて予約したのだった。
あまねく世界に神は存在し あまねく音楽にバッハは存在する 人が曲を書くとき、人は世界を作り出しているのである・・・ 表現に値しない音楽の素材など一つもない・・・ 生そのもの、我々を取り囲むすべてのものが、 かくも複雑な様相を呈しているので、 そのすべてを呼び出そうとするなら、 我々はより一層誠実になるだろう・・・ 聞き手が何を理解し、何を理解しないかは 聞き手自身の決定に委ねるとしよう。 アルフレート・シュニトケ
≪あまねく世界に神は存在し あまねく音楽にバッハは存在する≫
この一行でこの書物は、いや現代のバッハと称されていると聞き及ぶシュニトケの音楽は、語りつくされているのかもしれない。ぼちぼちと拾い読みして行こうと思っている。