yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

黛 敏郎『涅槃交響曲]』(1958)と『曼陀羅交響曲』(1960)。荘厳を奏で瞑想を啓く。五大にみな響あり、「実相ハ声字ニ由テ顕ル。即チ声字之レ実相ナリ」(空海)。

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黛敏郎:涅槃交響曲 第二楽章 「首楞厳神咒」 Mayuzumi:Nehan Symphony

          

≪「涅槃とは、存在でもなく、非存在でもない。それは考究の対象とならず、しかもなお究極の確証である。この永遠性について語れば、語ること自体によって、本来捉えられるべきものを逸することになる。」(K.ヤスパース)≫(解説書より)

イメージ 2今日はすでにブログに登場している作品の2度目の登場。ただし音盤は、演奏者も違っての再登場となる。聴き較べといったことからではなく(そういった経済的余力などないし、素養もない)、カップリングされている作品を聴くための購入だった。黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929 - 1997)の、たぶん!伝統・民族文化を大胆に取り込んだ若きアヴァンギャルドモダニストの衝撃的な作品で、かつ傑作として音楽史に燦然と輝く『涅槃交響曲』(1958)。この作品は≪モダニズム(電子・音響開発)と日本的心性・余情(鐘、読経)との出会いにうねる精神の発露を聴く黛敏郎の『涅槃交響曲』(1959)≫とタイトルして先に言ったようにすでに投稿している。作品の内容等はこの記事以上言うことをもたない。で、今回取り上げるアルバムは、その作品と、カップリングされている、おなじような題材、仏教を扱っての2年後の作品『曼陀羅交響曲』が併収されている1976・78年に各々ライヴ録音されたもの。カップリングされたこの作品が聴きたくて手に入れたのだった。見事な圧倒的オーケストレーションで荘厳を奏で瞑想を啓く。戦後のアヴァンギャルド、その寵児の伝統への果敢実践だった。現代音楽に縁のない人も、興味をもてない人も是非とも耳にしていただきたい、いやそれに応え得る傑作であることは、シロウトのこの私が言うまでもないことだろうけれど。べつに<日本>が、民族精神がここにあるなどと言っているわけではない。また、仏教を唐心(からごころ)としてやまとこころと峻別する国学者、とりわけ本居宣長などの考えもあるのだろうが、それらはさておいて、(日本の)誇り得る作品がここにあるといっているだけだ。耳そばだて聴けば胸に響きあうものがきっとあることだろう。
ここに結晶している音、響きへ耳そばだてることが仏教の教えのなにほどかへと思いをいたすよすがともなるだろう。≪声、音、響はそのまま実の世界を表している≫

「実相ハ声字ニ由テ顕ル。即チ声字之レ実相ナリ」空海声字実相義』)

五大にみな響あり、 十界に言語を具す、
六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり。
                 『声字実相義


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Mayuzumi: "Mandala Symphony" 1/2