yuki-midorinomoriの日記

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高橋悠治『フーガの[電子]技法』(1975)。何かを発見することとしての音楽実践。

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Yuji Takahashi (synthesizer) - Contrapunctus XV (1975)

              

イメージ 2こうなるとアコースティックなパイプオルガンのフーガを聴いている方が良いかなと思ったりする。今から30年以上も前の電子機器の水準といった時代的制約があるにせよだ。決してつまらぬといっている訳ではない。当時のロックミュージシャンの方がシンセサイザー機器を使いこなしていたのではないかといいたくなるほどだ。いやそもそも目論見が違っているということなのだろうか。電子技術がつくり出す音響の開発とか、音色展開への興味とかいったことが多少はあるにせよ根本にはバッハの楽譜が、フーガの技法が居座っているのだ。構造の全体性。その枠組みの中での電子・エレクトリックフーガの試みといったところなのだろう。シンセサイザー2台と16チャンネルのテープへの録音を電子処理しての作品ということだ。ま、好きなことやっているなといった印象ではあるが。高橋悠治の操るシンセ、それもバッハのフーガといったところでの新奇さが関心を呼んだアルバムといったところだろうか。解説も何もない、ただ音のみを聴いてくれといった趣だ。プログレッシヴ・ロックの連中のつくり出す、しばし瞑想的ですらある壮大な音響空間をイメージすれば当てがはずれることだろう。もちろんそうしたこと、安易なロマンティシズムをあえて避けているのだろうけれど。≪音楽はだれのものでもない。音符をたどることでも、作曲家の意図にしたがうことでもなく、何かを発見することだ。≫(高橋悠治)そう、それは≪音の自由な遊び≫としての実践・行動ということなのだろう。ところでこの稿(アルバム『フーガの[電子]技法』)は、バッハの書庫へ入れるべきなのか、日本の現代音楽に入れるべきなのだろうか。