yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

山下洋輔トリオ『コンサート・イン・ニュージャズ』(1969)。時代の熱気と併走する怒涛の勢い。

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Burning piano (played by Yosuke Yamashita)

          
           粟津潔サイトで完全版が観れます

イメージ 268年~69年という歴史年次は折りにふれ幾度となく顧みられ語られることだろう。これはノスタルジーのしからしめることとしてのみ片付けられない、ターニングポイントであったと言わなくてはならないだろう。政治経済的なことどもはさておくとしても、こと、今日取り上げる山下洋輔トリオにとっても、日本のフリージャズ史にとっても同様大きな輝かしい事跡を残した年だった。

<1967年10月、佐藤首相のベトナム訪問をベトナム戦争に加担するものだとして新左翼系学生が阻止しようとし、羽田空港周辺で警察機動隊とゲバ棒を用いての実力闘争が行われた。その羽田空港近くの弁天橋中核派の京大生山崎博昭君が死亡した。>詩人の(高校時代の)友人がその山崎博昭君であった。


      時は狩れ
      存在は狩れ
      いちじるしく白んでゆく精神は狩れ
      意志の赤道直下を切り進むとき
      集会のなかに聞き耳をたてている私服刑事の
      暗い決意のように直立する
      地球の突然の生誕の理由
      描かれない精神の地図
      中断された使者の行為の色
      やさしく濡れてくるシュプレヒコールの余韻
      雨はまた音たかく悲怒を蹴り上げている
      アスファルトを蛇行するデモ隊の
      ひとつの決意と存在をたしかめるとき
      フラッシュに映え たぎり落ちる
      充血の眼差しを下に向けた行為の
      切断面のおおきな青!


      ふとぼくは耳元の声を聞いたようだ
      ―なにをしている? いま
      ぼくの記憶を突然おそった死者のはにかみのくせ
      鋭く裂ける柘榴の匂いたつ鈍陽のなかで

      永遠に走れ
      たえざる行為の重みを走れ


      …………


      ああ 橋イメージ 3
      十月の死
      どこの国 いかなる民族
      いつの希望を語るな
      つながらない電話や
      過剰の時を切れ
      朝の貧血のまわる暗い円錐のなかで
      心影のゆるい坂をころげくるアジテーション
      浅い残夢の底
      ひた走る野
      ゆれ騒ぐ光は
      耳を突き
      叫ぶ声
      存在の路上を割り走り投げ
      声をかぎりに
      橋を渡れ
      橋を渡れ


      …………

 
                      佐々木幹郎(「死者の鞭」・橋上の声より)

      佐藤栄作訪米阻止・羽田空港闘争 - 1967
      


こうした政治の季節、時代でもあった。もちろんこれが全てだと言うつもりはない。≪「世の中がどのような激しい戦ひのただなかにあらうとも、たそがれは、すべての母が、心静かに、火を焚く時刻である」≫。との竹内てるよの詩句にあるごとく、いかなる時代にあろうとも粛然と生活はいとなまれていた。しかし、決して表層的な時代現象だと切り捨てるわけにも行かないのだ。≪かつて人びとは、叛乱の圏内で、無際限な言葉の励起に身をまかせていた。そんな事実はなかったとはいわせない。「政治の季節」の後になって、人はただ忘れたふりをしているだけなのだ。またいつか、なんの方法上のケジメもなしに、言葉が散乱するに違いない。≫(長崎浩「政治の現象学あるいはアジテーターの遍歴史」)こうした時代の熱気、情動は拙ブログでもすでに≪1968年の喧騒と熱狂の政治動乱を扱ってスローガン、落書き等を素材にテープに歌ったルイジ・ノーノ(1924-90)の『NON CONSUMIAMO MARX』(1968)ほか。≫とか≪ヒリヒリとする<生きて存る>ことの哀しみが通奏する中原中也の詩と、帽子。≫などでつぶやいた。『われわれは現代音楽などというものに何の幻想も抱いていない。また拡散しっぱなしのハプニングやらサイケデリックも視野に入らない。われわれの興味は、我々自身の「ジャズ」にある。ジャズの中に、我々が立ち戻るべき音楽の(prototype)原型を、今、見出したことを宣言しておこう。我々が演奏するのは、実験的なニュージャズなどではなく、ごく当たり前のPROTO-JAZZ原ジャズとでも言うべきものである』(山下洋輔)と宣言し、斯くなる沸騰する時代をピアノを拳固と肘で打ちたたき鮮やかに疾走したのが山下洋輔トリオだった。清々しいまでに見事な破壊実践だった。しかしそこにはパワフルな破壊の美しさともにリリシズムをも秘めていたのだった。爆走に身をゆすらせ放心のエクスタシーの頂点に迎えるカタルシスの見事さ爽快感は格別のものだった。そうした迫真のライヴ・ドキュメントが今日のアルバム『コンサート・イン・ニュージャズ』(1969)といえよう。同時期、早稲田大学大隈講堂のバリケードの中で行われたライヴ自主盤が「DANCING 古事記」として出されており、またスタジオ録音盤も≪流麗さひときわ印象深く美しい中村誠一のソプラノサックスソロ、山下洋輔トリオ『木喰(もくじき)』(1970)≫及び≪時代を突き破った山下洋輔プロトジャズ宣言の実践「ミナのセカンド・テーマ」≫の2作品が世に問われたのだった。まさに時代の熱気と併走する怒涛の勢いだった。

≪ジャズの現場で、音を発する側に参加している者がそこで聴いてもらいたいのはただ「音」であって、どんな言葉でもない』(山下洋輔)≫