yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

デヴィッド・トゥープとマックス・イーストレイの『OBSCURE#4』(1975)。「さえない」「目だたない」「注意を引かない」「不明瞭」で「あいまい」で風変わりな音のつまったレコード。

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Max Eastley, Kinetic Drawings

            

デヴィッド・トゥープ
イメージ 2ま、なんともなさけない音楽。しめやかに耳を澄まして聞こうと言った風情だ。自然との神秘的な交感といったことなのだろうか?なにせ日本の読経のときに鳴らす鐘(響きからして直径30~40センチほどのもの?)が鳴らされ、あとはモゴモゴ、ゴソゴソ、ボソボソといった音ならぬ音が、歌うでもなく、合わせるでもなく延々とパフォーマンスされる。ちょうど苛立ちが募る頃に終わるのだ。ほかのパフォーマンスも似たり寄ったりで、何ナノこれといった感じである。このデヴィッド・トゥープ David Toop (1949-)の作品には、名だたるブライアン・イーノヒュー・デーヴィス Hugh Daviesなどがそのパフォーマンスに参加しているから、一層その了解しイメージ 4難さが倍加するのだ。ともかくこのイーノが主宰し立ち上げて10タイトルほど世に出して終えた、まさしく<曖昧>で、<不明瞭>な語義そのもののOBSCUREレーベルの真骨頂ともいえるのかも。ちなみにネット辞書には、この<OBSCURE>の意味・語義が下記のように述べられている。

1 不明瞭(めいりょう)な, あいまいな
2 注意を引かない, 目だたない;世にうもれた, 有名でない;へんぴな, 人里離れた
3 よく見え[聞こえ]ない
4 どんよりした, (薄)暗い
5 輝き[光沢]のない;〈色などが〉さえない, くすんだ

まさにピッタシだ。しかしこれ等をコンセプトとしたことは逆に勇気のいることでたいしたことではあると、今になってみれば感心する。この「さえない」「目だたない」「注意を引かない」「不明瞭」で「あいまい」をコンセプトとする若きアヴァンギャルドのドキュメントであり、「何ナノこれ」としか受容できない私(たち)の感性をこそ哄うべきなのだろうか。たしかに「さえない」「目だたない」「注意を引かない」「不明瞭」で「あいまい」とは、その他おおぜいの表徴ではあり、その意味では先進性があり、先見的ですらある。もう片方A面にはマックス・イーストレイMax Eastleyの創作楽器の奇妙ではあるけれど、ナイーヴな響きでパフォーマンスされたドキュメント。<自然>がコンセプトにあるようなつくり方だ。このような創作楽器として有名なのが、武満徹イメージ 3が大阪万国博のときに作品の中で使用したキネティックな創作彫刻楽器(フランソワ)・ベルナール・バシェ兄弟 Bernard Baschet(フランス・1920~)がいるけれど、それとは少し趣、コンセプトが違うようだ。先ほどいったけれどそれらの作り出す響きには自然との交感といったものが感ぜられる。とにもかくにも「さえない」「目だたない」「注意を引かない」「不明瞭」で「あいまい」で風変わりな音のつまったレコードOBSCURE#4である。詳しくはオブスキュア・レコードまで。



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