yuki-midorinomoriの日記

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高山辰雄『食べる(たべる)』(1973)。ふつふつとせりあがってくる慈愛と哀しみ。

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            『食べる(たべる)』(1973)



イメージ 2今年九月に物故された日本画家・高山辰雄(たかやま たつお、1912 - 2007)の『食べる(たべる)』という作品はひと目みて言い知れぬ哀しみを呼び起こすことだろう。幼い子供が無心に食べているという姿が描かれているだけなのだけれど、何という訴求力なのだろう。生命を維持するための食べるという本能的欲望を描いて、しかもシンプル極まりない絵で、これほどつよく人間の性(さが)を問いかけるのも稀といえないだろうか。対象が幼い子供の食する姿であることが、しかも正座して静かに、無心に食している姿の可愛らしさが慈しみとともに、いっそう食することの<原罪>性、生きるためには他の生き物を殺し、食としなければ生命の維持が保てないという、生きて在る以上は罪を犯して生きなければならないという背理を突きつけるのだ。この幼い人生にして既に、その人間存在の哀しみ、絶対矛盾を生きなければならないという宿命に思いが馳せるゆえの情動なのだろうか。このような「食」を問いかける作品が戦時をはさんでの絶対窮乏の世のものであれば肯けもしようが、この作品は昭和48(1973)年の制作のよし。まさに日本の高度経済成長のピークを迎えた頃であり、生産の過剰が人心、社会を蝕んでゆくとば口でもあった頃といえよう。そうした時期の絵であることが、いっそう自省自戒を強いてくるように思える。<原罪>を背負ってこれから生を全うしなければならない幼子の行く末への祈りでもあるのだろうか。それゆえの静かな存在することの哀しみなのだろうか。ほんとうにひと目見ただけで慈しみと哀しみがにじみ出てくる。




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