yuki-midorinomoriの日記

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哀悼カールハインツ・シュトックハウゼン『INORI(祈り)』(1974)。

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Stockhausen: "Inori" 1/2

            

イメージ 3先日、新聞の訃報欄でカールハインツ・シュトックハウゼンKarlheinz Stockhausen(1928 - 2007)が亡くなったとの記事を目にした。というわけで、かれの作品に関する記事を投稿することでこの傑物への哀悼としたい。それにあわせるかのようだけれど、取り上げるアルバムのタイトルは『INORI(祈り)』(1974)である。タイトルが、物故された人への哀悼に似つかわしいのではということで取り上げただけで、しょうじき、この頃以降の彼の作品はよく分からないたぐいの音楽だ。理解されない、されていないシュトックハウゼンとはよく聞くことだけれど、ご多分にもれず私もそうである。未だ拙ブログに登場していないレコードは、蒐集を断念した85年頃までのものだけでも相当ある。頭の痛い話である。70年代は次から次へと音盤が出された時期でもあった。50~60年代の華々しい活躍ゆえ、シュトックハウゼンという名前のみで蒐集したようなものだ。ジャケ買いならぬ作曲者買いであった。70年代はピエール・ブーレーズルイジ・ノーノなどと比べて音楽的に決して面白いものではなかった。しかし50~60年代は、三羽烏と称され彼らと拮抗していたのだ。以下はこの作品「INORI(祈り)」が出るまでのおもな足跡だ。


1951 Kreuzspiel (Oboe, Bassklarinette, Klavier und drei Schlagzeuger)
1952 KONTRA-PUNKTE (für 10 Instrumente)
1952 - 56 Klavierstücke I - XI (für Klavier)
1956 Gesang der Jünglinge im Feuerofen (Elektronische Komposition)
1957 Gruppen (drei Orchester)
1959 ZYKLUS (für einen Schlagzeuger)
1960 Carré (vier Chöre und vier Orchester)
1960 Kontakte (Klavier, Schlagzeug und Tonband)
1961 Originale (Musiktheater mit dem integrierten Stück Kontakte)
1962–1964/69 Momente (Sopran, vier Chorgruppen und 13 Instrumente)
1964 Mixtur (Orchester, vier Sinusgeneratoren und vier Ringmodulatoren)
1966 Telemusik (Elektronische Komposition)
1967 Hymnen (Elektronische und konkrete Musik)
1968 Stimmung (sechs Vokalisten)
1968 Aus den sieben Tagen (intuitive Musik)
1968 Kurzwellen (vier Spieler mit Instrument und Kurzwellenempfänger)
1970 Mantra (zwei Klaviere und Live-Elektronik)
1971 Sternklang (Parkmusik für 5 Gruppen)
1974 Inori (ein oder zwei Solisten und Orchester; Inori=„Gebet“ auf Japanisch)
1975 Tierkreis (zwölf Melodien der Sternzeichen für Spieluhren, bzw. ein Melodie- und/oder Akkordinstrument)
1975 Harlekin (Klarinette)
1975 Der kleine Harlekin (Klarinette)
1977 Sirius (Elektronische Musik und Trompete, Sopran, Bassklarinette, Bass)


この記事にも紹介しているネットページ氏によると、この「祈り」は貼付け画像に見られるように世界東西の宗教の祈りの動作をするダンサー=マイムによって演奏が展開される仕組みだそうである。いっしゅシアターピースtheater pieceということなのだろうか。≪ダンサー=マイムのジェスチャーの全てはオーケストラの演奏する音の様々な属性と厳密に関係付けられています。例えば手の高さは音高、手の拡げ方はリズム、手の前後の位置がダイナミクスなどというように。全ての手のジェスチャーは世界各地の様々な祈りのポーズに由来していて、それが曲名の「イノリ」の由来ともなっています。≫(ネット解説)とあり、音のみの鑑賞とはちがって、≪実演でダンサー=マイムのジェスチャーを「聴く」ことではじめてこの作品のすべてを把握し、この作品の新たな魅力に接することができたのです。・・・・この驚くべきジェスチャーの効果は実際に見て頂くしかないので、お伝えできないのが残念ですが、オーケストラの奏でる音楽自体も非常に魅力的であります。・・・・シュトックハウゼンの音楽において、演奏者の動きや、「祈り」のダンサー=マイムのパートのような視覚的な要素はますます重要となってきていますが、これらの要素は音楽的要素と深い結びつきを持っていてお互いを切り離すのはほとんど不可能です。≫(同上)と、このように説明されると、どうやら音だけでの理解、了解は殆んど不可能に思える。じっさい、音盤を聴いているかぎりでは、なぜ「祈り」?なのといった印象である。確かに音の響きは静やかで瞑想的な雰囲気であることは確かだけれど。日本の鈴(りん)やら鐘が静かに鳴らされたりするので、それだけでも宗教的余韻を感じさせはするけれど。2枚組みレコードの3面を使っての一時間を越える長大な「祈り」と、もう一面に『FORMEL』(1951)という12分ばかりのオーケストラ作品が収録されている。23歳のときの作になるが、こちらのほうが当然に聴きやすく、しかも面白く瑞々しくて私には好感持てた。とにもかくにも評価がどうであれ、戦後、現代音楽の寵児として華々しく登場し、革新の問題を投げかけながら時代を突っ走ってきたことは確かといえるだろう。初期の業績だけでも音楽史に残る作曲家であることは言うまでもないことだろう。私には、後期作品などは晦渋の印象を否めないけれど。




参考ネット記事――