yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず Credo, quia absurdum』。

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                高島野十郎



    ――そこにわたしの魂が揺す
    られる場所、そんな純粋な場所
    はすでに私から喪われてしまった。

     例えば弾性を喪った弾条(ぜんまい)が侘しく自身に戯
    れてみる――懶く自身を捻ってみることに
    も、やがてはしずまりきってしまう空虚を味
    わっている羸弱(るいじゃく)さがあった。風と樹!目に
    見えぬ風が細い梢の樹末を揺すっている風景
    を、茫漠と眺めている瞬間が私にあった。そ
    うだ。私には茫漠たる時間がある。それは名
    状しがたい空虚な時間でもあった。何もしな
    い裡に既に疲れてしまった軀、私の魂はそん
    な羸弱さを持っていた。



    ――凡てが許されるとして
    も、意識のみは許されることは
    あるまい。この悪徳め!

     或るとき、或る死人の言葉がしばしば私を
    絶望のような悩ましさへ誘った。
     ――地獄の槍に貫かれても意識はある筈で
    あろう。それがありさえすれば。
     彼もまたそこに信じているものを呪う深淵
    の間に死んでいったのである。


         埴谷雄高不合理ゆえに吾信ず Credo, quia absurdum』(現代思潮社