埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず Credo, quia absurdum』。

――そこにわたしの魂が揺す
られる場所、そんな純粋な場所
はすでに私から喪われてしまった。
られる場所、そんな純粋な場所
はすでに私から喪われてしまった。
例えば弾性を喪った弾条(ぜんまい)が侘しく自身に戯
れてみる――懶く自身を捻ってみることに
も、やがてはしずまりきってしまう空虚を味
わっている羸弱(るいじゃく)さがあった。風と樹!目に
見えぬ風が細い梢の樹末を揺すっている風景
を、茫漠と眺めている瞬間が私にあった。そ
うだ。私には茫漠たる時間がある。それは名
状しがたい空虚な時間でもあった。何もしな
い裡に既に疲れてしまった軀、私の魂はそん
な羸弱さを持っていた。
れてみる――懶く自身を捻ってみることに
も、やがてはしずまりきってしまう空虚を味
わっている羸弱(るいじゃく)さがあった。風と樹!目に
見えぬ風が細い梢の樹末を揺すっている風景
を、茫漠と眺めている瞬間が私にあった。そ
うだ。私には茫漠たる時間がある。それは名
状しがたい空虚な時間でもあった。何もしな
い裡に既に疲れてしまった軀、私の魂はそん
な羸弱さを持っていた。
――凡てが許されるとして
も、意識のみは許されることは
あるまい。この悪徳め!
も、意識のみは許されることは
あるまい。この悪徳め!
或るとき、或る死人の言葉がしばしば私を
絶望のような悩ましさへ誘った。
――地獄の槍に貫かれても意識はある筈で
あろう。それがありさえすれば。
彼もまたそこに信じているものを呪う深淵
の間に死んでいったのである。
絶望のような悩ましさへ誘った。
――地獄の槍に貫かれても意識はある筈で
あろう。それがありさえすれば。
彼もまたそこに信じているものを呪う深淵
の間に死んでいったのである。
