yuki-midorinomoriの日記

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レジャリン・ヒラーが1958年に創設したイリノイ大学の実験音楽スタジオで制作された作品『ELECTRONIC MUSIC from The University of Illinois』

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Major Developments in the History of Computer Music

            

別にネタ切れというわけではない。今回のアルバムのような個々の作曲家の作品を一枚にまとめたコンピレーションアルバム?は情報が多岐に亘るゆえ、限られた時間で紹介するにはいささか荷が重く躊躇する。それとセット物もそうである。別に音盤多く蒐集しているわけではないので、意を決してエネルギー注ぎ込めば何とか自分なりに格好がつくとは思うのだけれど。邦盤でなく洋盤となると、語学を生業の必須としていないドメスティックな身であればなおさらである。いよいよもって後回しになるばかりである。今回の電子音楽の制作の舞台、イリノイ大学をネットで覗いていてシカゴがイリノイ州の州都であるイメージ 2ことを知った。また都市名が冠せられているので有名なシカゴ大学が州立大学と思いきや私学であり、イリノイ大学が州立大学であったこと、これらをこの稿のためにネット覗いていて知った次第。村から一度も出たことがないという一昔前の土着民とさして変わりない、生地をうろうろするだけの人生であれば無理もないかもしれないけれど、情けない話である。さて先日ジョン・ケージとの凄まじい乱雑無秩序、喧騒のノイズ共作作品「HPSCHD」。また世界で最初のコンピュータを使っての、古典的でさえある構成美の印象をもつ作品の一つを収録したアルバムで紹介したレジャリン・ヒラーLejaren Hillerが、1958年に創設したとも言える大学の実験音楽スタジオで制作された作品の記録されたものが今回取り上げるアルバム『ELECTRONIC MUSIC from The University of Illinois』である。Lejaren Hiller(1924),Kenneth Gaburo(1926), Charles Hamm(1925), Herbert Brun(1918),Salvatore Martirano(1927)の5名の作品の寄せ集め。Lejaren HillerはプリンストンでMilton BabbitやRoger Sessionsらの東部アカメディズムの後の大御所らに作曲を習った元化学者。Kenneth Gaburoもイタリア、サンタチェチーリア卒後プリンストンなどでセミナー等、教育に携わり、また幾多の奨学の機を利用して研鑽に努めた。Charles Hammも同様プリンストンなどで修学、Herbert Brunはドイツ生まれStefan Wolpeらに作曲を師事。パリ、ケルン、ミュンヘン等の電子音楽スタジオで研鑽。Salvatore MartiranoはLuigi Dallapiccolaなどに師事。その作品の数多くは賞の栄に浴している。このように俊才ぞろいである。とはいえ今から40年以上も前の60年代の作品ゆえ音響的に不満限界は確かに残る。とはいへ、レジャリン・ヒラーとサルバトーレ・マルチラーノのこの二人は出色であり、異色である。ヒラーの『Machine Music』(1964)、ここで断片のうちに聴けるアコースティック作品の腕の確かさと、化学者でもあったせいなのかどうか分からないけれど少々奇体なエレクトロニクサウンドとの音響合成の感性には驚かされる。自我解体のフチにポジショニングしているのかなと思えるほどに奇妙奇体である。モダニストの荒涼、徹底性をみる思いでもある。やはり先駆者というものはどこか普通ではない。<けったいな人>にふさわしい。さてもう一人のサルバトーレ・マルチラーノ『Underworld』(1965)。多分この作曲家はジャズ畑と交流の多い人であったと記憶しているけれど、そうしたことを髣髴とさせる作品である。ひじょうにエモーショナルでエキセントリックさを感じさせる作風の持ち主で、この作品でもそうした雰囲気が充溢している。ジャズ的フレーズなども随所に聴かれ、エモーショナルな人間の面を決して手放さないそれは、確かに感性的に受け入れやすい音作りの作品ともなっている。決して無機的に音をほったらかしにはしない。エモーショナルなところで音はつながれ生きている。それにしてもこのサルバトーレ・マルチラーノも異色異端ではあるだろう。分かりにくさのそれではなくてだけれど。さて順逆になるけれどもKenneth Gaburoの『Lemon Drops』(1965)、ハリー・パーチに捧げられた『For Harry』(1966)の2作品は初期電子音の貧相を逆手にして、却ってみずみずしさを感じさせる作品としているのが並みでない証拠といえるのか、面白い作品に仕上がっている。Herbert Brunの『Futility1964』はコンピュータによる音響合成を追及した作品といえるだろうか。やはりその研鑽がヨーロッパでなされていたことを窺わせる音作りである。ミュージックコンクレートの動きも視野にあっただろうモノトーンの電子音の貧相に飽きたらず、厚み、深さ、具体の獲得への志向のあらわれと括れるだろうか。



レジャリン・ヒラーとジョン・ケージとの共作作品『HPSCHD』
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/40367009.html

レジャリン・ヒラー『イリアック組曲Illiac Suite for String Quartet』マイブログ――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/40330584.html



Lejaren Hiller/Computer Music For Percussion & Tape