yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

知的営為の真摯さは時代を超越する。感動の諸井三郎(1903-1977)。『小交響曲変ロ調』(1943)、『交響的二楽章』(1942)、『交響曲第三番』(1943-44)以上3曲NAXOS盤(2004)

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壮大堅固な絶対音楽作品をはや戦前にうちたてた諸井三郎(1903-1977)。そのスケールの大きさ、確かなオーケストレーションの響きには感心し魅せられるものがある。同世代の民族派といわれる一群の作曲家の作品とはずいぶんとその力量の違いを感ぜられることだろう。もちろん絶対音楽として自立した音楽世界を構築するには、忍び寄り、よりかかる安易な情緒性を遠ざけての論理的構成展開と音楽美を創り上げねばならない。音楽外の要素価値排除ともいえよう。≪彼の理想の音楽は、なんと言ってもまず、限られた動機・主題の濃密で有機的で緊迫感に富む発展による音の伽藍に他ならなかった。ベートーベンを究極のモデルとする、大規模にして意志的・論理的なソナタ交響曲や協奏曲こそが、諸井にとっては最初から一貫して創造に値するものだった。彼は、そのような性格の音楽から目を背け、曖昧な情緒に身を委ねようとする他の日本の作曲家たちを目の仇にした≫(解説者、片山杜秀)とはいえ敗走破局を迎えつつある戦時局の作品ということもあり、彼の音楽にも戦意高揚、鼓舞するかのごとく、日本情緒を感じさせるトーンが顔覗かせ、聞きやすさ、親しみやすさ、メロディアスな面が作風の基調となりはする。とはいえ安直なツギハギでないところが素晴らしいところなのだろう。甘美なメロディーに切なさを感じるのは私だけではないだろう。以前拙ブログにて諸井三郎の『交響曲第二番』を<スケール大きく堅固な構築展開の美に驚く、諸井三郎(1903-1977)作曲『交響曲第2番』(1938)>とタイトルして、ぜひ聴くべき傑作と紹介した。偽りない言葉であり印象である。その記事で、時あたかも敗色濃厚な1944年に作曲された『交響曲第三番』に関して、その拙ブログで<太平洋戦争敗走の悲劇的結末直近でもある1944年に<遺書>として作曲され、前作以上に心血注がれて壮絶悲痛を響かせ、感銘おく名作と謳われている『交響曲第3番』(1944)。この作品を評し≪日本の音楽史上に燦然と輝く壮絶な大作である。≫との評言もある。わたしは未だこの音盤手元に無く聴く機会がないままである>と記した。もちろん間違いはない。しかし私は今回このNAXOS盤にて聞く機会を得て、作品世界の構築の純粋性、完成度は1938年に作曲された『交響曲第二番』のほうが勝るのではないかと思った。もっとも素人ゆえの印象批評のそれでしかないのだけれど。彼にとっての創作の自由度はこの作品『交響曲第二番』の内にこそあったのではないかと思えるのだが。とはいえ戦前に、すでにしてこのような見事なスケールを感じさせる自立的・絶対音楽世界が確かなものとして構築されていたことに驚く。知的営為の真摯さは時代を超越するということだろうか。感激であった。個々の作品紹介はさきの解説者、片山杜秀氏の懇切なライナーノーツに目を通していただくとして、最後に収録曲のデータを拾うことでこの稿終えたいと思う。『小交響曲変ロ調』(1943)、『交響的二楽章』(1942)、『交響曲第三番』(1943-44)以上3曲。オーケストラ作品がことのほか好きな方にはぜひ耳そばだてて聴いて頂きたいものです。



諸井三郎、マイブログ――
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