yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

東アジアにありての真正な響きの独特を、確かな曲想の中に聴く尹伊桑(ユン・イサン、1917-1995)NAXOS盤(2006・4)

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尹伊桑 (Isang Yun), Tapis (1987) pour cordes

             

尹伊桑(ユン・イサン、1917-1995)は武満徹(1930-96)とはほぼ一回りちがう。かれは≪戦前、大阪と東京で音楽の基礎を学び、自国で反日運動で逮捕されながらも、その後、故国で音楽の教員として教えたが、フランスに留学、さらにドイツに移るが、KCIA(韓国中央情報部―引用者注)の東ベルリン事件で本国に送還。逮捕と拷問を受け、死刑を宣告されたが、シュトックハウゼンストラヴィンスキーらの国際的な抗議の後釈放され、1971年にドイツに帰化した。余生をベルリン芸術大学の作曲科教授として細川俊夫、嶋津武仁などの多くの日本人の弟子を育て何回も来日もしており、日本では日本語を話した。≫(WIKIPEDIA)ところで、また彼同様日本と関係深く芸術活動を展開して国際的にも知られているのが、というより私の知見の範囲でしかないが、 武満とほぼ同年令の、ナム・ジュン・パイク(南準白)(1932-2006)であり、少しくだってリ・ウー・ハン(李禹煥)(1936-)である。年代的な違いもあるのかもしれないが、この二人のインテレクチュアルなアヴァンギャルドぶりに鑑みるとユン・イサン(尹伊桑)の堅実でありつつも骨格太くスピリュチュアルな作風の独創は実人生の変転極まる数奇さもさることながら、深く感動をおぼえる。また同世代の日本の作曲家には、評論普及育成などに貢献多大であった柴田南雄(みなお)(1916-1996)がいる。この世代はロシア革命(1917)による社会主義国家誕生と共に生を享け、破滅への道行きの戦前軍(皇)国主義体制のもとに青少年時を過ごし、終戦時にはすでにもう29歳という価値観をもった成人として迎えた。それに反し武満徹や、黛敏郎その他のすぐれた同年の作曲家たちは青年でもなく、少年でもない境界人として、今で言う高校生の年頃で終戦を迎えている。このことは思う以上に思想形成、価値観形成に問題を与えているのではないかとひそかに思っている。戦後新左翼運動の哲学、思想的支柱でもあり画期となした廣松 渉(1933-1994)も彼ら同様私謂うところの<境界人>世代である。この世代はなんだか根こそぎといった感じがするのに対して、吉本 隆明 (1924-)や、とりわけこの七才年長のユン・イサンらは世界の見え方が違っていたのではと思える。こと音楽に関して言えば武満ら<境界人>世代のまえには無調セリーの革新はすでにはじまっていた。しかしこのユン・イサンなどはその端緒期であり、新古典的な様式を形成期として迎えている。その所為かあらぬか、また民族政治的な背景もあってか激甚の形式変転はない。むしろ根っこをしっかりと押さえつつ革新をなしている風情である。なにやら音楽の周辺ばかりを語って一向に肝心へと行かないが、東アジア民族感性を象徴しもする五音音階の親しみやすさと落ち着きにつつまれた、撓るような厳しいタイトな精神性あふれる音作りの真正にやはり胸打たれるものがある。「なまじ」という言葉があるけれど、「なまじ」でないことの確かさを感じさせる作曲家であり、作品である。ただし70年前後の厳しさからはやや後退し、穏やかさが前に出てきていることはこのNAXOS盤に収録されている作品には顕著といえるだろうか。ベルリンの壁崩壊に象徴される東西冷戦終結間じかの1987年に各々作曲されたという背景と年齢的成熟のしからしむところであるのかもしれない。1.『室内交響曲第一番』と、2.『弦楽のためのタピ』、と84年に作曲された3.『ハープと弦楽のためのゴンフー(箜篌)』三曲。東アジアにありての真正な響きの独特を確かな曲想の中に是非聴いてほしいものである。ツギハギでない確かさを聴くことだろう。最後に世代論でくくれないヤニス・クセナキス(Iannis Xenakis 1922-2001)やジョン・ケージ(1912-1992)の革新の突出はやはり異質であるといえるだろうか。


尹伊桑(ユン・イサン)マイブログ――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/16432128.html


Isang Yun, Chamber Symphony I (1/2)










廣松 渉(ひろまつ わたる)(1933-1994)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%9D%BE%E6%B8%89