yuki-midorinomoriの日記

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初演者で献呈もされている、落ち着きと繊細渋ささえ感じさせるマーロ・アジェミアンのジョン・ケージ『Sonata and Interludes』世界初演盤

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すでにこのジョンケージの『Sonatas and Interludes for Prepared Piano』(1946-48)をとりあげて稿おこしているのだけれど、そこで初演者で献呈もされている女流ピアニスト、マーロ・アジェミアンMaro Ajemianの演奏のことを述べ、そこで勝手に名前からの類推でイラン系としたがひょっとしてアルメニア系?よく分からないが、いずれにせよ同質の感性圏ではないかしらん。これも勝手な推測。ともかく抑制された繊細のほどが聴けるピアニストとの印象を綴ったのだったが、そのときはカップリングされていた二台のプリペアドピアノのための『A Book of Music』(1944)を演奏しているマーロ・アジェミアンに関しての印象であった。当の『Sonata and Interludes』はヨシュア・ピアースJoshua Pierceのピアノであったがよくできていた。おおむねケージの初期のピアノ作品は拙ブログでも印象を述べたが「なんとも孤独で美しく、やさしくもの悲しげな響きをもっていることだろう。まことにピュアーである。」に尽きるのだけれど、このアジェミアンの演奏をケージは≪自身が死ぬまで「この盤が最高」と言っていた≫(ネット記事より)そうである。べつに≪当曲の初演者/被献呈者≫だからという訳でもないだろうが、この曲が≪1946年2月から3年がかりで作曲された『ソナタとインタールード』は、ほぼ70分を要する大作である。アナンダ・K・コワラスラミの著作から見出したインドの美の伝統にある「九つの永遠の感情」すなわち、「勇気」「情欲」「驚歓」「悲哀」「不安」「怒り」「醜悪さ」それに「平静心」を音楽的に表現しようとした作品だとケージは述べている。・・・≫(石田一志)とあるように、インド哲学・思想に魅かれていた時期の作品であることを考えると、彼女の繊細、シンプルはケージを気に入らせたのかもしれない。いやそれ以上に落ち着きと渋ささえ感じさせる抑制された音作りは、のちのさまざまな演奏家の、クリアーすぎるともいえるパフォーマンスが多い中では少し異質でさえある。そうした意味でこの初演者マーロ・アジェミアンの記念碑的なアメリカCRI盤(世界初演盤Dial Records (1951)の再発もの)は興味深いものである。ところで、このケージの作品『Sonata and Interludes』の何と多くの音盤が存在することかネットを覗いていて驚いた。またジョン・ケージディスコグラフィーも、そのとき目にしたので参考まで載せておきました。興味のある方は下記ページをクリックしてください。