yuki-midorinomoriの日記

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明晰と余情、込めたパッションに精神の重さを聴く『ペルソナーレ――音宇宙Ⅱ・細川俊夫作品集』(1988)

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Toshio Hosokawa - Silent Flowers (1998) for string quartet

            

今現代音楽を聴いている若い人たち、少なくとも40歳台以下の人たちにとっては、この細川俊夫は80年代以降華々しく登場した俊英の一人なのだろう。それをいささかも疑い否定しようとはつゆ思はない。音の骨格、密度はやはり中途半端ではない。感性に寄りかかって安直につくられた響きではない。これは確かなことと思われる。たぶん現代音楽放送にて彼の作品の幾らかは耳にしてはいただろうけれど、80年代半ば以降音盤から遠ざかり、かつ関心薄れたころでもあり、いっぽうロック音楽へとのめりこんで行った興味の移り行きもあったせいで、その盛名を留めるに終わっていたのだろう。武満徹亡き後、日本の現代音楽を世界に発信してゆく力量とオーガナイズを推進する真摯はいまや認めるところだろう。しかし今になって、この出会いのすれ違いは今回のこのアルバム『ペルソナーレ――音宇宙Ⅱ・細川俊夫作品集』(1988)を聴く機会を得て、幾らかの後悔の思いがよぎりもした。ただいまこれから彼の作品を追ってゆく気力と根気は若き日々ほどのものはたぶんもてないだろうからだ。ドイツ留学で作曲を師事したイサン・ユン、クラウス・フーバー、ブライアン・ファーニホーと、その名を耳にするだけでも音作りへの姿勢が推察できる。また彼の著した書物で知るところによるとヘルムート・ラッヘンマンとの交流も密であるらしい。イサン・ユンの精神の緊張と密度、ラッヘンマンの音響への実験性。確かにこうしたものを骨格としてもち、やはり日本人というべきか、武満の音への姿勢の近親をもつというべきか、ひじょうに引き締まった抒情と余情を強く感じさせる音の世界である。チェロにしろ、フルートソロにせよそのヴィルトゥオジティあふれるパフォーマンスでは、邦楽のもつノイズをも自然として受容するそのスピリチュアルな構えは、やはり日本的余情を強く感じさせるものがある。一音一音に込める秘めたパッションはひじょうなるものを感じさせ、奥深く密度を感じさせる。確かに彼には精神に重さがあるといえばいいのだろうか。しかもつくられた響きによる空間と時間のくっきりとした現前には明晰さをも感じさせる。其処には今日ただいまをしっかりと見据えた音の解き放ちがある。普遍への意志ということなのだろう。遅まきながら、私にとって今後の楽しみがふえたことは確かである。収録曲目は1.『線・Ⅱ(チェロソロのための)』(1986)、2.『時の谷間に…(弦楽四重奏とピアノのための)』(1986)、3.『円形Ⅰ(オーケストラのための)』(1987)、4.『フルート協奏曲<ペルソナーレ>』(1988)。これらともどもほぼ同年の作ということも凄いことだ。