大岡信「折々のうた」より一句。野見山朱鳥
たまたま開いて目に留まった俳句をひとつ。
一 枚 の 落 葉 と な り て 昏 睡 す
野見山朱鳥(のみやまあすか)
「虚子門に学び、昭和四十五年五十三歳で没。青年期から肺患で久しく療養したが・・・画家としても一家をなした。・・・最晩年の作。」(大岡信「折々のうた」岩波新書より)
たんに舞い落ちカサともしない落葉と昏睡のイメージをダブラせ、寂しさを句に読み取って納得したのだけれど、解説を読むとそうではなく逆らしい。
後は本を読んでください。半ページにも満たないものですから。
たんに舞い落ちカサともしない落葉と昏睡のイメージをダブラせ、寂しさを句に読み取って納得したのだけれど、解説を読むとそうではなく逆らしい。
後は本を読んでください。半ページにも満たないものですから。
画像のほうは香月泰男の「青の太陽」です。俳句とは何の関係もないです。いや寂寥において通底しているかもしれない。
やはりこのしみいる青です。青には切々とした思いが込められているのだろうか。シベリアの収容所、煉獄に覗くわずかの、しかし捉えてはなさない青です。
まさに休憩室赴くままというところです。
やはりこのしみいる青です。青には切々とした思いが込められているのだろうか。シベリアの収容所、煉獄に覗くわずかの、しかし捉えてはなさない青です。
まさに休憩室赴くままというところです。