yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

映画『少年H』。焼け出された、生活を支えるミシンの再起の縫い音。<生きねば>と、その音づれに込み上げるものあり涙した。

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もういい加減にしてくれと言いたくなる<陽>攻めの猛暑に干天の慈雨といったところでしょうか。すこしはほっと一息の雨の朝。きょう一日ぐらいはこのまま曇天少雨であって欲しい。

節電というより電力消費をケチって、クーラー使用は一階のリビングダイニングのひと部屋のみ。そのひと部屋で家族寄りそって暑さ退避の日々を送っているのが昨今。音楽鑑賞にパソコンの文字打ちとはちょいといきかねる環境(テレビしかない)。快適な冷気のもと、のど潤す冷えたビールの晩酌で一息ついて萎えてしまった軟弱な精神は、熱帯夜のなかわざわざ二階の自室(納戸)に上がり、扇風機の送る生温かい風の前に座るとおもうと、もう何する気力もわかない。

ところで、お盆休みのあいだの一日、知人から頂いた映画観賞券をもって、多感な少年時代に戦争の世を生きた家族、社会の物語『少年H』を連れ合いとふたりで観てきた。

わがニッポンはこの時期「戦争の夏」なんですね。8月15日は終戦の日。それに、ご先祖様を供養する行事「お盆」と重なる夏の日々。否が応でも、多くの生死と向き合う夏となる。

「平和のありがたさ」だの「戦争の惨さ」だの、「大義に翻弄される庶民の生活」だの・・・お決まり?の浮いた空疎なことばを印象の記と綴る気はありません。根がアマノジャク、へそまがりなもので。

ときは、戦争末期昭和20年3月・6月をピークとする神戸大空襲

【人口および面積から換算した被害率としては、当時の五大都市の中でも最悪の数字であった。】(WIKI)その神戸大空襲という、おなじ歴史事態を扱って名作としたのには『火垂るの墓』がありました。

そして、ちょうど50年、半世紀後に阪神淡路大震災に見舞われる神戸。

激しい空襲で焼け焦げ崩れ落ちた神戸の街並みがダブって目に迫ってくる。

洋服仕立てを生業とする少年Hの父親の、黒焦げで焼け出されたミシンの再起の縫い音がカタカタカタとスクリーンに流れ出した途端、<生きねば>とその音づれに込み上げるものあり、どっと涙が溢れ出したのだった。ああ、おやじ!。おふくろ!・・・。