yuki-midorinomoriの日記

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墓碑銘は、「されど、死ぬのはいつも他人」。マルセル・デュシャン

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            墓碑銘は、「されど、死ぬのはいつも他人」

Marcel Duchamp

          

マルセル・デュシャン――・・・・あなたはウィーンの論理学者たちの話を知っていますか?

カバンヌ――いいえ

マルセル・デュシャン――ウィーンの論理学者はある体系を練り上げたわけですが、それによれば、私が理解した限りでは、すべてトートロジー、つまり前提の反復なのです。数学では、きわめて単純な定理から複雑な定理へといくわけですが、すべては最初の定理のなかにあるのです。ですから、形而上学トートロジー、宗教もトートロジー、すべてはトートロジーです。このブラックコーヒーを除いて。なぜなら、ここには感覚の支配がありますから。眼がブラックコーヒーを見ている。感覚器官のコントロールが働いています。これは真実です。ほかの残りは、いつもトートロジーです。

             『デュシャンの世界』(M.デュシャン、P.カバンヌ)朝日出版社

        写真:"Erratum Musical"デュシャン自筆スコアー ↓

Duchamp: "Erratum Musical"イメージ 4


クルト・ゲーデルは1931年に不完全性定理を発表した。

第1不完全性定理
 「ある矛盾の無い理論体系のなかに、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」

第2不完全性定理
 「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」

つまりは、「どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。それは、その理論体系に矛盾がないことを、その理論体系の中で決して証明できないということであり、つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない。」ということであった。自己は自己自身を証明することはできない

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理性により作り出した理論体系が真理に到達することは決してない!?。


≪人生はいまいましい罠です。思索的な人間が成年期に達して、成熟した意識もつようになると、その男は心ならずも自分が出口のない罠にかかっているように感じるものです。実際、人間は自分の意志に反し、ある偶然によって無から生に呼び出されているのです。……それはなぜか?彼は自分の存在の意味と目的を知りたいと思うが、誰も話してくれないか、あるいはくだらぬことしか話してくれないのです。そうするうちに死がやってくる。≫(アントン・チェーホフ

≪『又淋しくなった。こういったことはみんな実にのろくさくて、重苦しくて、やり切れない……やがておれも年をとる。そうしてやっとおしまいってわけだ。たくさんの人間がおれの部屋へやって来た。連中はいろんなことをしゃべった。たいしたことは言わなかった。みんな行っちまった。みんな年をとり、みじめでのろまになった、めいめいどっか世界の片隅で。』≫(ルイ・フェルディナンド・セリーヌ「なしくずしの死」)




松岡正剛・千夜千冊、ハオ・ワン『ゲーデル再考』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1058.html

松岡正剛・千夜千冊、オスカー・ベッカー『数学的思考』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0748.html

松岡正剛・千夜千冊、ジョン・キャスティ『複雑性とパラドックス
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1066.html