yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

犬塚勉(1949-1988)のスーパーリアリズム。現前するその自然とは、はたして実相なのか仮想なのか・・・。狂気じみた一木一草すべて、ディテールにこだわる執拗なまでのスーパーリアリズム。

イメージ 1
「梅雨の晴れ間」

イメージ 2
「縦走路」

これは写真ではありません。画です。先だって新聞のごく小さなスペースのコラム記事に掲載されていて、てっきり写真とばっかり思いこみ眺めていた画だった。≪山を愛し、38歳で谷川岳で遭難死した犬塚勉(1949-1988)のスーパーリアリズム≫。たぶん額縁の中に収まっているこの画が写真でなく、まちがいなく画であることに気づいたとき、その驚きはいかほどのものだろう。斯く思わせるにたる凄みをもっているといえよう。
いつものことで、何回も引用していることもあり気が引けるのだけれど、拙ブログでも取り上げた脱俗孤高の画家高島野十郎のことば
「写実の極致、やるせない人間の息づき――それを慈悲という」(高島野十郎・遺稿ノートより)
が想起される。
はたしてこれは、自然の実相なのか仮想なのか・・・。現前するその自然とは、はたして実相なのか仮想なのか・・・。顕現するものは・・・。狂気じみた一木一草すべて、ディテールにこだわる執拗なまでのスーパーリアリズム。崇高と言うか空しくも哀しいというか。だが、自然は長くその姿でありつづけることだろう。
だからこそ
「花も散り世はこともなくひたすらに たゞ赤々と陽は照りてあり」(高島野十郎・遺稿ノートより)
と画家は歌うのだろう。