yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ジョージ・クラム『Music for a Summer Evening (Makrokosmos Ⅲ)』(1974)。象徴主義的で神秘主義的な音色へのこだわり。

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George Crumb, V. Music of the Starry Night (part 2)

         

イメージ 2象徴主義的で神秘主義的な音色へのこだわり。今日取上げる米国の作曲家ジョージ・クラム George Crumb(1929 - )には、先ずこのことばが口をついて出てくる。たぶんこの印象はこの作曲家の作品を聴く人に間違いなくやってくるマキシマムだろう。その特異で神秘性を湛えた音作りは、やはり魅力ではある。米国では珍しい作風の作曲家だ。ただ私たちには武満という、響きと余韻の深さにおいて無比の存在をすでにもっている。ということで、どうしても対比的な聴き方をしてしまうようだ。以前の拙ブログにても≪この作曲家ジョージ・クラムの作品がどれほどの評価がなされ、また聞かれているのかは詳らかにしない。なんでも大学での音楽教育者としてのみか、人類学教授も務めていたという、そうした教育活動に生業の軸足を置いてるようで、その所為もあってか知名度が一般化していないのかもしれない。それはさておき、武満のピアノ曲と比較して彼の作品がしばしば挙げられることがあるらしいけれど、確かに表面的にはそうなのかなと思わせはする。静かさ(沈黙)と、暗き深奥をイメージさせる張りつめた緊張感、余情の響きなど、確かに頷けるところもなくはない。しかし、武満がもつ余韻の深さには到っていないようにも思える。よく出来ているピアノ作品ではあるけれど、俗な(=表現主義的な)というか、わかりやすいイメージに引き摺られ固着してしまう、つまりはそれらを突き抜ける奥深さ、思想性、想像力の強度、質に幾分の不満を感じるのは私だけなのだろうか。≫(余韻をもちつつ響きが張りつめて立っている、12の星座の音をキラメかすジョージ・クラム(1929年 - )の『MAKROKOSMOS,Volume1』(1972))と投稿した。それはそうなのだけれど、決して作品の質が劣っているとかと言っているわけではないことをここではっきりと断っておこう。弩素人の鑑賞記とはいえ、予断を与えるようなことがあってはと思わないわけでもないし、現代音楽ファンを減らすことにもなりかねない。以前の印象記の再掲で一向に深化も見えないのでは取り上げた意味も無いので、終わりに気づいたことを一言。響きをひたすら耳そばだて身をあずけて老荘的大音に聴く(<我>を喰い破り超脱する放下)というより、イマジナリーに物語る意志が意識として画然としているということだろうか。それが先の≪俗な(=表現主義的な)というか、わかりやすいイメージに引き摺られ固着してしまう≫ということの内実なのかも知れない。というも、再度言い募っておこう。決して凡百の作曲家、作品では断じて無いことを。



『Music for a Summer Evening (Makrokosmos Ⅲ) for Two Amplified Pianos and Percussion』(1974)

I. Nocturnal Sounds (The Awakening)
II. Wanderer-Fantasy
III. The Advent
IV. Myth
V. Music Of The Starry Night


ジョージ・クラム――投稿記事

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/50553988.html わかりやすいイメージに引き摺られ固着してしまうのが惜しいジョージ・クラムの『MAKROKOSMOS,Volume2』(1973)。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/44739690.html 余韻をもちつつ響きが張りつめて立っている、12の星座の音をキラメかすジョージ・クラム(1929年 - )の『MAKROKOSMOS,Volume1』(1972)

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/50764999.html (1)『THE AVANT GARDE STRING QUARTET in the USA』。聴きものです。再発、廉価NAXOS盤にあり。