香月泰男、横山操の母子像に慈愛を刻む。
ひところタイガーマスクこと「伊達直人」の善行が話題になり、社会現象にまでなる広がりをもちました。あーだこーだもいいですが、すなおによろこびたいものと思う。幼児、児童のわが子への無情冷酷の非道を(情報社会ゆえの過剰さもあるとはいえ)見せ付けられるにつけ、慈愛を・・・とおもう。
香月泰男(かづき やすお、1911 - 1974)
• 1945年、ソ連に抑留され、シベリア、クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で強制労働に従事。これが原体験となり、その後の作品全体の主題・背景となる。
• 1947年、シベリア抑留から引き揚げ、下関高等女学校へ復職。
(WIKIより)
横山操(よこやま みさお、1920 - 1973)
• 1945年‐シベリア抑留に遭う。カザフスタン辺りで石炭採掘の工員として強制労働をし、そのときの情景や想いなどが、後の横山の作風に影響されたとされており、『カザフスタンの女』等に当時の印象を色濃く残している
• 1950年‐復員し、帰国する。戦争で中断していた制作を再開する
(WIKIより)
「やれないのではない。やらないからだ」 (横山操)
石原 吉郎(いしはら よしろう、1915 - 1977)
• 1945年(昭和20年)終戦。シベリア抑留。
• 1946年(昭和21年)ソ連カザフ共和国アルマ・アタのラーゲリに収監。
• 1949年(昭和24年)重労働25年の判決で受刑。
• 1950年(昭和25年)ハバロフスクのラーゲリに収監。
• 1953年(昭和28年)特赦により帰還。
(WIKIより)
• 1946年(昭和21年)ソ連カザフ共和国アルマ・アタのラーゲリに収監。
• 1949年(昭和24年)重労働25年の判決で受刑。
• 1950年(昭和25年)ハバロフスクのラーゲリに収監。
• 1953年(昭和28年)特赦により帰還。
(WIKIより)
<世界がほろびる日に>
世界がほろびる日にかぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
(石原吉郎『禮節』より)