yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

メディアの脳ミソはたぶんこんなのでしょう。み~んなお見通し。あなたがたはエライ!。まわりがみんな阿呆にみえることでしょう。だがしかし・・・冷静な認識も。

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メディアの脳ミソはたぶんこんなのでしょう。そうですそうですとも、み~んなお見通し。あなたがたはエライ!。まわりがみんな阿呆にみえることでしょう。こう、チャチャのひとつもいれたくなる。(この画像は新聞宣伝広告のものです。中身のほどは知りません。週刊誌・雑誌などは買ってまで読まないもので)

私は菅首相が、無能だとも、器でないとも、権力にしがみついてるなどとも思っているわけでは毛頭ありません。誰が首相になっても同じだ・・・代わり映えしない云々カンヌンとは誰のことばでしたっけね。むしろこういう騒擾のグチャグチャの躁な脳ミソ状態こそを憂慮すべきと思うのだけれど。尻軽な、いや指弾し囃し立てることに快感するオッチョコチョイ、見識と定見のなさを見るようで・・・。

ところで、先日新聞のコラムで見識ある落ち着いた論説が目に留まったので、それを、能のない話ですが(ザルあたまゆえ)そっくりそのまま貼り付けさせていただいてきょうの投稿を擱きます。

小熊英二「東北と東京の分断くっきり」(2011・4・28・朝日新聞

東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原産の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術の進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食糧増産政策、戦前のコメ供給地だった朝鮮と台湾の分離などである。こうして東北は、コメ・野菜・水産物などの東京への供給地となった。
 また東北は、東京への低廉な労働力の供給地だった。高度成長期の集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金の非正規労働者の存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。
 さらに東北は、東京への電力の供給地だった。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長末期から、原発交付金が誘致された。沖縄に基地が集中したように、福島と福井には東京と大阪に電力を供給する原発が集中し、他に産業のない地元の人びとが働いた。こうして穀倉地帯に原発が集中するリスクが生じた。
 1990年代以後のグローバリゼーションの中で、一次産品と労働力の供給地としての東北は、アジアとの競争にさらされた。いっそうの過疎化と高齢化、小商店や公共交通機関の衰退が進んだ。点在する小集落から生活物資を買いに行くのも自動車に頼らざるをえなくなり、地域の命綱となったガソリンスタンドも過疎化による経営難で減少している。
 今回の震災では、原発事故と電力危機、放射能による農水産物汚染、ガソリン不足と物流停滞、高齢被災者の多さ、部品工場の被災による部品供給網の寸断などが重なった。これらは上記のような地域で震災がおきれば、必然的に発生しうる事態である。これを想定外の複合災害のように東京のメディアが論じるなら、それは地震といえば関東大震災阪神大震災のような都市型災害しか想定していなかった、無意識の東京中心主義の限界というほかない。
 復興も、関東大震災阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市の復興と異なり、生産地の復興は都市計画や防災を中心に論じても限界がある。また神戸は大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。だが今回は、2030年までに人口3割減さえ予測されていた過疎地が生産基盤を失った。
 復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。グローバル資本とグローバルシティーにとって、食料と労働力の供給地は東北である必要はない。20世紀の国内分業で位置を定められてきた東北は、21世紀の国際分業競争の渦中で打撃をうけた。地震と電力供給のリスクがある東北から工場を海外へ移す動向も予想されている。町をまるごと失い、放射能におびえ、仕事と安全の未来もみえない状態が続けば、若者から先に東北を離れてゆく。この現実を直視し、日本の構造と東北の位置を変える意志を東京側も含めて共有せずには、防災都市やエコタウンの構想も新築の過疎地と財政赤字を残すだけに終わりかねず、原発に頼らない地域社会も作れない。
 復興の前提は、原発事故の大局的対策だ。放射能漏れを伴う綱渡りの冷却が数カ月は続く。放射能の放出は3月より減ったが、再度の大放出の恐れは残っている。政府は矛盾だらけの暫定措置(飲料水の放射能基準値が原発の排水の7倍など)のつぎはぎを超え、さらなる避難拡大や経済的・国際的影響など、あらゆる事態を想定した長期戦賂を公表して国民を納得させてほしい。何も知らされずに非常事態になれば、かえってパニックがおきる。「最悪の事態になれば東日本がつぶれる」と発言した菅首相なら、そうした戦略を立てる意志はお持ちと思う。少なくとも「想定外だった」という言葉だけは、世界中の誰も聞きたがっていない。 震災後には、「がんばれニッポン」という言葉が躍った。だが震災が浮き彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するにはあまりに分断されている、近代日本の姿である。
  (おぐま・えいじ 歴史社会学


すべてを疑うか、すべてを信ずるかは、二つとも都合のよい解決法である、どちらでも我々は反省しないですむからである。 (アンリ・ポアンカレ