yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

鉄腕アトムは小型原子炉を内蔵した科学の子だったのか。

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Tetsuwan Atom (鉄腕アトム) opening (1963)

               

               空を越えて ラララ 星のかなた
               ゆくぞ アトム ジェットの限り
               こころやさし ラララ 科学の子
               十万馬力だ 鉄腕アトム
               耳をすませ ラララ 目をみはれ
               そうだ アトム 油断をするな
               こころ正し ラララ 科学の子
               七つの威力さ 鉄腕アトム


鉄腕アトムは≪原子力で動くから、体内に小型原子炉を内蔵し、それで発電して体の各所のモーターなどを動かしている≫のだそうで、そう言われればそうだった。あの科学の子、ココロ優しき正義の鉄腕アトムが・・・。



【震災義援金(募金)を納めない生徒名を黒板に数日間掲示、○○中学校 苦情受け撤去 「忘れ物と同じ感覚で」・・・】

こうした隠微な同調圧力は復興「がんばろうニッポン」を旗幟とする≪絆≫の強調の裏返しでもあるのだろう。危うさを縫っていくからこそ、それだけに危急存亡の事態といえるのだろう。組織が動くには旗がいる。けれど、一歩引くのも大事なことだ。

【絆を強調 ちょっとだけ心配 【小沢昭一朝日新聞2011/4/24朝刊

まず、今回の東日本大震災で被災なさった皆様に心からお見舞いを申し上げます。私は女房の親族に福島県出身が多く、彼女は戦時中、疎開会津浜通りを転々としましたから、ニュースで聞く土地の名前はなじみ深いものばかりのようです。
 私も伝統芸の探索や一人芝居「唐来参和」の公演で、ずいぶん東北を歩き回りました。宮城の唐桑半島にあった「津波体験館」にも参りました。椅子がグラグラと揺れて、思わず身をよけるような津波の映像が眼前に大きく映し出される。怖かったですねえ。あの建物は今回どうなったんでしょう。
 津波で壊滅した仙台の若林地区でも公演をしました。とてもひとごととは思えません。「唐来参和」の作者井上ひさし先生も若い頃を仙台で過ごされた。ご存命だったら、なんとおっしゃたでしょうねえ。

  東北というのは日本の原郷という気がします。特に太平洋側は上方や京都の文化にあまり侵略されていない土地。「伝統芸なんかないよぉ」と言われるんですが、あたしなぞはそれで逆に「何かあるかも知れない」と思って潜り込んでいく。するとあるんですねえ。華やかじゃないけれど、素朴でその土地に根付いた芸能が。
 例えば、会津には門付け芸の万歳が古い形で残ってました。万歳は三河が有名ですが、実は昭和の東京に来ていた万歳は会津尾張が多かったんです。万歳は農民の農閑期の仕事ですから、行く先々で農作業の情報を交換したりして、それが文化の交流の機会でもあったわけです。
日本中を歩きましたが、港町はいいですねえ。入の出入りが激しかったせいでしょうか、文化があって、開けている。開放感もある。芝居をしても、県庁や大学がある大きな街だとお客さんはいわば冷静に見て下さる。それが港町だと感情移入というか反応がいい。芝居がやりやすいんです。今回の津波はそんな港町をのみ込んじゃった。心が痛みます。
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 私のような大年寄りには、今回の被災他の光景はどうしても広島の焦土や戦後の焼け跡の風景とダブりますが、あの悲惨な状況から立ち上がって復興を遂げた日本なんですから、今回も必ず立ち直れると信じます。
 ただ、ちょっと違うところもあります。
 敗戦後は日本中が「茫然自失」の状態でした。昨日までの価値観が根底からひっくり返って、ただ「茫然」とするだけじゃなく、自分の存在の根拠さえ失った「自失」だったわけです。昨日まで「鬼畜米英」なんて言っていたのが、ガラリと変わってアメリカ礼賛
の「民主主義」「自由」なんです。世の中、信じられなくなっちゃった。
 当時は「みんなで頑張ろう」なんてかけ声もなかった。みんな焼け跡で、今日を生きることで精いっぱい。てんでんバラバラに頑張るしかなかった。
 それまでの「一億一心」から、正反対の「てんでんバラバラ」。この「てんでん」というのは、個人一人ひとりの「自立」なんです。そのてんでんを深めよう、バラバラを深めようと、急に切り替わった。でも、バラバラの価値観をどう深めていくか。それは大変
でも、そのために戦争という大きな犠牲を払ったわけですからね。
 戦後はみんなが何もかも失って貧しかった。でもその代わり「自由」なるものを味わって、これにすがりつこうと思い、みんなが希望を持った。
 「今日一日の食うものもない貧乏暮らしだけれど、今度こそ貧乏をバネに俺の好きな生き方をしよう」 「大変だろうけど、やってみようじゃないか」と、一人ひとりが独立心を持った。後に私の唱えた「貧主主義」が芽生えるのです。
 だから今回、「一致協力」とか「絆」なんてことが強調されるのが実はちょっと心配なんであります。いつかまた、あの忌まわしい「一億一心」への逆戻りの道になりゃしないかと、そんな気がするんですね。だから私たちの世代には「絆」ってのはちょっと怖い言葉なんです。耳にタコで、こりごりしてる。でも若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。
 東北の皆さんはみんな我慢強く、ねばり強い。それだけじゃなくて、実は底抜けに明るいユーモアの心もお持ちなんです。大変でしょうが、持ち前のたくましさでシブトク立ち直っていただきたいと祈っております。
         (聞き手・篠崎弘)
』(http://home2.netpalace.jp/sougohujo/room/room.cgi?mode=koumoku&no=1&p=0 より転載)

ま、それはともかく、閉鎖的蛸壺化した≪原子力村≫、≪原発安全神話≫・・・。なんですか、このいやなことば。たぶん、尻軽のオッチョコチョイのメディアから流布されたことばなのでしょうが。私が気になるのは、こうした安直なことばを学者連たちも時流に乗っかるように検証することなく思考停止然と使っているさまです。誰が原発を安全だと信じきっていた、信じ込まされていた(当時の世論調査の数字を見れば、揺らぐココロのさまがみえることだろう)というのでしょう。じつは、あれよあれよという間の、疑念を抱きつつの黙認だったのではないのか。(躊躇いの、その背後には資源のないわが国のエネルギー安全保障、確保へのリアリズムがあったことはいまさらいうまでもないことでしょう。オイルショックの歴史経験、いや、いうもさらなり、わが国土を焼尽に帰した無謀な戦争へと駆り立てた、そもそもの因はなんだったのか。)そのわだかまりを、忸怩たる思いをいま、震災を引きがねとする福島原発の歴史的な事故を前に切歯扼腕しているのが本当のところではないのだろうか。事態の速やかな収束、および、あらゆる検証は厳密かつ冷静にとりおこなうのが、いまもっとも大事なことと認識しつつも・・・。
ここではっきり表明しよう。私は、脱原発であっても反原発ではありません。反原発をお題目に思考停止したくはない。持続可能エネルギー転換への時間的猶予を確保しつつの、原子力技術の検証、およびリスク管理の学際的探求ということです。嫌な、避けたいことから学ぶこともある。リアリズムをもたずロマンだけでは、必ずやいっそうの悲惨な結末(経済的衰退から破綻へと)を将来することと私には懸念される。直近にかぎってみても、5月26日~27日に行われるG8首脳会議で、福島原発事故を踏まえつつも、慎重期しての原発推進がうたわれることでしょう(エネルギー逼迫は地球人口増とパラレルであってみればいうをまたない)。さて、わたしたちは外交上どう対応するのか。認めるにせよ、認めないにせよ、世界はグローバルに動いている。どういったスタンスにせよ知略をもって大勢と意見すり合わせ付き合っていくのがお付き合い、外交というものだろう。お隣中国も、どうやら(急速な経済成長、膨張ゆえの)電力不足が深刻の事態になりつつあると聞く。人口大国のインドもいずれ問題化することだろう。エネルギー安全保障・・・。どうする?。「そんなこと知ったことか!」。それを思考停止という。




それにしても、リスペクトがなくなりつつある批判に満ちる社会。自己中で悪意の行きかう喧騒の社会。落ち着き場所がない。つかれます。


「自然は強いものだ。たえず生成と破壊をくりかえして変化しつづけ、もとにもどることがない。自然界のすべては偶然で「想定外」で、名前も意味もないオブジェである。人間も本来は自然だった。それなのに自然を「想定」して制御し、支配しようとしている。今回の震災でわかったのは、そんな目論見が通用しないということである。人間はもういちど自然である自分を考えたほうがいい。」(巌谷國士

「想定外」はゆるされないらしい。だがしばし。自然への畏敬、畏怖がなくなっちまやおしめえよ。といいたくなる。

自然の行ないはすべて想定され予測される。いや、されなければならない?。なんと傲慢な。

とりとめのない投稿になってしまった。するんじゃなかった・・・。