yuki-midorinomoriの日記

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【探すべきものは、「答え」ではない。この震災から「問われているもの」は何かということだ。】(養老孟司)

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             【震災は「問題」ではなく、自然が出した「答え」である


         【「答え」はいつも目の前にある
              見えていないのは「問い」の方だ】


安直なことでありますが、ネットで、どちらかといえば原発推進、いやそれは言いすぎかもしれないが、積極的な反対論者ではない著名人は・・・とネット検索していて、これはメモしとかなくてはといったことばがあったので、それを孫引きながら備忘録として貼り付けておこう。というのも、この時期原発反対を唱えている真っ当!?なひと、論者からは、これといった響くことばを聞かないもので。以下のことばは、養老孟司(発言)批判のサイトからの孫引きです。けれど、批判されている、当の養老孟司のことばのなんと含蓄のあることばかと・・・。まさしく思想している人のことばだ。


人生は何のためにあるのかという質問に意味がないのは、人生はいろいろな問題に対する答えだからだ。頭で「自分の人生は何なのだ」と考えても、絶対に答えは出てこない。
 
震災をふまえた提言と言われると、ああすればいい、こうすればいいという話になる。それも、私からすれば根本から意見が違ってくる。千年に1度の大地震が起きた。その結果が目の前にある。けれども、被災者たち、われわれは、これからも生きていく。そのことに何ら変わりはない。
 
探すべきものは、「答え」ではない。この震災から「問われているもの」は何かということだ。



週刊誌AERA アエラ臨時増刊 2011/4/10号、「東日本大震災 私たちはどう生きていけばいいのか-27人の提言-その1、解剖学者・養老孟司氏の言葉より」。





5/28追記――

http://smc-japan.org/?p=1428 【寄稿】核実験フォールアウトとの比較:一瀬昌嗣・神戸高専准教授
核分裂生成物の寿命は一般に短く、長いものでもセシウムストロンチウム半減期30年程度です。物理的な半減期の存在に加え、拡散して希釈されます。また、生体に取り込んでも、ずっとそのままではなく代謝によって多くが対外に排出されます(生物学的半減期が核種ごとに判っています)。
 したがって「福島は人が住めなくなる」などというのは、無知に基づくデマでしかありません。

過去に受けた様々な放射線被曝と、今回の福島原発からの一般公衆への被曝は、せいぜい同レベルと言ってもよいものであると私は考えています。



「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。」

「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」



ブロガーによる、出色の<反原発学者(京都大学原子炉実験所・小出裕章)、煽り屋(ジャーナリスト・広瀬隆)>批判――

http://plaza.rakuten.co.jp/kurukku2004/ 名無し人の観察日記


http://getnews.jp/archives/105404 広瀬隆氏『ニュースの深層 福島原発事故 メディア報道のあり方』での発言へのいくつかの修正(2011年3月17日放送)


6/10追記――

煽り屋(ジャーナリスト・広瀬隆)本領発揮?後々まで記憶にとどめるために。きょうまでの推移からみても、さてどうでしょうか。反原発ブローガー貼り付け動画から拝借。



8/5追記――(吉本隆明<科学に後戻りはない>【「8.15からの眼差し」―震災5ヶ月】日経より)

事故によって原発
廃絶論がでているが。――

原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を
透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまったという点にある。
燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。
しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろというのと同じです。
だから危険な場所まで科学を発達させたこことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と、現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。
今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です。

・・・