「こどもの情景/戦争と子供たち」。いつの時代どのような時であっても子供は希望だということを知る。
影山 光洋 《小麦の収穫祝、家族の肖像》 1946年
一昨日の新聞記事で目にとまった写真を貼り付けて、きょうは投稿としよう。ちょうど3月11日の震災の日に≪戦場カメラマン・報道写真家のロバート・キャパ。死の直前に撮った1954年の愛おしいニッポン。≫とタイトルして投稿した記事に貼り付けた写真と同様、焦土と化した戦直後の貧しかった時代の光景をセピア色の写真で見ると、懐かしくはあるが父母の労苦が脳裏をよぎり、どうも涙腺が緩む。『こどもの情景/戦争と子供たち 写真展』という催し案内の記事だった。つき並だけれど、いつの時代どのような時であっても子供は希望だということを知る。
4年ちかく前に投稿記事に貼り付けた詩があった。
「頬」
竹内 てるよ 作
竹内 てるよ 作
生れて何も知らぬ 吾子の頬に
母よ 絶望の涙をおとすな
その頬は赤く小さく
今はただ一つのはたんきやうにすぎなくとも
いつ人類のための戦ひに
燃えて輝かないといふことがあらう
生れて何もしらぬ 吾子の頬に
母よ 悲しみの涙をおとすな
ねむりの中に
静かなるまつげのかげをおとして
今はただ 白絹のやうにやはらかくとも
いつ正義のためのたたかひに
決然とゆがまないといふことがあらう
ただ 自らのよわさといくじなさのために
生れて何も知らぬわが子の頬に
母よ 絶望の涙をおとすな
― 詩集 花よわれらは ―