yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

シュニトケ『交響曲第2番「聖フローリアン」』。語りえぬ神に対峙する深甚な祈りの音楽精神・・・を聴くことだろう。

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Alfred Schnittke: Sinfonia n.2 "St. Florian" (1979/1980)

           I. Rexitando (Kyrie)
           II. Maestoso (Gloria)
           III. Moderato (Credo)
           IV. Pesante (Crucifixus) - Coda: agitato (Et resurrexit) - Maestoso
           V. Andante (Sanctus)
           VI. Andante (Agnus dei)

               

ここ最近、一気にテンション下がり・・・、つまりは音楽を聴くことに倦んできたということなのだろうか。それもあるだろうけれど、どうやらウツの気配に嵌まり込んでいるしまっているのかも。本ですら読む気も失せてきている。さて、どうしたものやら。
回顧的な繰り言で、きょうの投稿も擱わりそう。

以前も引用したのだけれど、印象に残ったことば・・・


   あまねく世界に神は存在し
   あまねく音楽にバッハは存在する

   人が曲を書くとき、人は世界を作り出しているのである・・・

   表現に値しない音楽の素材など一つもない・・・

   生そのもの、我々を取り囲むすべてのものが、
   かくも複雑な様相を呈しているので、
   そのすべてを呼び出そうとするなら、
   我々はより一層誠実になるだろう・・・

   聞き手が何を理解し、何を理解しないかは
   聞き手自身の決定に委ねるとしよう。

              アルフレート・シュニトケ


上の言葉は

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/53520195.htmlルフレート・シュニトケシュニトケとの対話』(春秋社・2002「あまねく世界に神は存在し あまねく音楽にバッハは存在する」。

で引用したものだった。


その、ロシアの作曲家アルフレート・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934 - 1998 ハンブルク)を、すでに以下投稿して印象を綴っている。


ルフレット・シュニトケ関連投稿記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/62670275.html シュニトケ『三重奏曲 / 弦楽三重奏曲 / ベルク(シュニトケ編):メヌエット / カノン ロストロポーヴィチ(vc、指揮)クレーメル(vn)他』。とことん不協和音でございます。この沈鬱。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/62499940.htmlシュニトケ:合奏協奏曲第1番|ロディオン・シチェドリン編曲、ビゼーカルメン組曲』。【巧みさと匠、その≪多様式主義≫に感性の迸りと彫琢、高い精神性を聴く】

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/57536924.htmlルフレット・シュニトケピアノ五重奏曲』(1972-1976)ほか。余韻深く、厳かな鎮魂の響き。難解さの一つとしてない真のココロからする祈りの音楽。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/53132896.htmlルフレット・シュニトケ『KREMER plays SCHNITTKE』(1986)。感性の迸りと彫琢、圧倒的なオーケストレーション、そのボリュームとテンションの持続力。その支える精神を前にたじろぐ。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/51623191.htmlルフレット・シュニトケの「チェロ協奏曲第1番」(1985-1986)。保守的な様式に通奏する沈鬱な翳りをもつ響きに、九死に一生の透徹した<死>への、翻って<生>への眼差しを聴く。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/51365248.htmlルフレット・シュニトケ『ヴァイオリン協奏曲第2番』(1966)、同『第3番』(1978)ほか。弛緩を感じさせないそのインテンシブな響きと造形には、精神のありどころの余人との遠き隔たりをおもう。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/51152697.htmlルフレット・シュニトケのCD2枚組み『弦楽四重奏曲集』。研ぎ澄まされた刃先の上で聴いているようなテンション。重層、複雑なんのその、かなわんなと呟きもれる匠の技。聴くのに疲れる音楽だ。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/51100717.htmlルフレット・シュニトケの巧みさと匠、その≪多様式主義≫に感性の迸りと彫琢、高い精神性を聴く


これらの少ないことばで、おおよその曲趣、作風、思想が了解されると思われる・・・。

イメージ 2ネット図書館で借りたシュニトケ交響曲第2番「聖フローリアン」』。ところで、この表題にある「聖フローリアン」とは、【ブルックナーオルガニストを務めた、オーストリアの聖フローリアン修道院】(同梱解説より)を指すようで、たまたま訪れたその聖フローリアン修道院で行われていたミサから受けた印象、インスピレーションが、この曲の背景にあるとのこと。
厳粛なグレゴリアンチャントの響きで始まる・・・スピリチュアルな世界。紛れもなく西洋歴史に深く根の張った宗教精神の現前。

語りえぬ神に対峙する深甚な祈りの音楽精神・・・を聴くことだろう。



【「我々が何を考えることができないのかを、我々は考えることができない。したがって我々が何を考えることができないかを、我々は語ることもできない。」(ヴィトゲンシュタイン


・・・にもかかわらず、我々は「神」という言葉を使う。

・・・「神について考える」と言われるとき、我々はすでに「神」と通常の「考える」とは異なる特別な関係に入っているのである。

 この特別の関係に入る行為が「祈り」に他ならない。

・・・「神」について「思考し、語る」とき、人は語りえないことを語ろうとして無意味な言葉を発しているのでなく、祈っているのである。」】(『ウィトゲンシュタインはこう考えた』鬼界彰夫


ひさびさの深く強靭な骨っぽい現代音楽を味わった。古臭くもなく新しすぎる難解怪奇もなく。




シュニトケ交響曲第2番「聖フローリアン」』

1. 交響曲第2番「聖フローリアン」

●ロジェストヴェンスキー/デニソフ/ペルト/シュニトケ:
2. パ・ド・カトル