yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

モートンフェルドマンのロスコーチャペルでの至高の祈りと瞑想

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      http://www.youtube.com/watch?v=qxSt_w2ODaQ 音源 Feldman: "Rothko Chapel"(Mark Rothko, paintings)


      ≪立派な作品ほど静謐で強い。
          その静けさの底に、沸々たる精神が封じこまれているからである≫
                           (宇治山哲平)

マークロスコーの絵をご覧になったことがある方なら、まずその淡い微妙に変化しているモノトーンの色彩のそれらを、かすかな茫洋とした線で分割されているだけの絵画に深い瞑想のたたずまいを感じることだろう。抽象表現主義という名称はともかく、まったく超然とそのマークロスコー独特の壁面絵画は残されている。他の作家の作品と並べて展示することを拒否し、彼の作品のみの単独壁面での展示を希望したとある。絵と対面し、その場にたたずむ。それは精神の深みを体験する儀式であるのかもしれない。静かに、まことに静かさに包まれてたたずみ、おのずと心がひざまずく崇高さにその絵の存在性をおいたのかもしれない。ここに採り上げたモートンフェルドマンのこのアルバムに印刷されているのがロスコー晩年の、ヒューストンに造られた「ロスコーチャペル」である。とりまくようにして壁面に微妙なあるかないかの変容をもつモノトーンの絵が展示されている。まさに瞑想的な儀式の場とでも言える佇まいである。このフェルドマンの音楽はその場所にふさわしいもののごとく、かそけく、静やかに、ゆっくりと、まるで死の沈黙と対峙し、つぶやいているかのように音がよぎってゆく。冥い時のつぶやき。すこしの息を吹きかけるだけで崩れ落ちそうなかそけき音。すこし動かすだけでこぼれ落ちそうなよわき音。あてどなくどこからともなく鳴るゆくえ定まらぬ音のつぶやき。しっ!静かに、葬列が行く。マークロスコー67歳自殺。


宇治山哲平――
http://homepage1.nifty.com/mcma/Exhb/2003/ujiyama/ujiyama.htm