yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

イタリア・アヴァンギャルド集団<Zaj>のJUAN HIDALGO、何がTAMARAN?

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多分プリペアードされてのピアノと推測される響きを押し殺した単音が、なんの脈絡もなくポツリポツリとなり続けるJUAN HIDALGO(1927)の作品である。イタリアcrampsレーベルのnova musichaシリーズの一枚である。見開きで埋められている文字はイタリア語のみ。びっしりと相当な文字数だけに辞書を引く気も失せる。音だけ聴いてくれとでも言うことなのか、ワールドインフォーメーションのかけらも見えない。固有名詞だけ拾っての略歴では地続きのヨーロッパであるせいか広範囲に活動しているようだ。アメリカを本拠とするアヴァンギャルド集団のフルクサスメンバーでもあるらしい。(小杉武久東京芸大同期のフルクサスメンバーである塩見允枝子のフルクサス40周年を記念して出された自作CDのメンバーリストに彼の名があった。)であればこそ英語対訳であってもよさそうに思うが、分からないことではある。フルクサスとのつながりを持ったイタリアのアヴァンギャルド集団<Zaj>のメンバーの一人であるそうだ。<Zaj>はフルクサスがそうであるように音と映像などあわせたセアトリカルなパフォーマンス・イヴェントを主にするアヴァンギャルド集団であったそうである。なんでも1959年ドイツ・ダルムシュタットでの現代音楽夏期講習へ参加しての帰途立ち寄ったジョン・ケージがイタリアでの<Zaj>の活動を見聞きし「論議を呼ぶだろう作品であり、elegant and unforgettable」とコメントしたということである。イタリアの現代音楽の作曲家では、ルイジノーノ、ルチアーノベリオ、ブルーノマデルナらの傑出は誰もが知るところであろう。また独創の音響世界を持つ孤高のジャチントチェルシ、そのアシスタントでもあったが、むしろ無調からの書法独創で美しい音響をもつアルドクレメンティ、これまた多才な耽美派であり韜晦を好むシルヴァーノブソッティ、そして名声高く良作品をのこすフランコドナトーニ。いずれも独特の音響世界を追及した作曲家が多い。こうした盛名持つ諸作曲家とは年齢的にさほどの差はないのだが、アヴァンギャルドの常かその名は知る人は知る程度であるのだろか。私が知らないだけかもしれないが。ジャケットに記されている単語の意味から察するに12台のピアノ(グランドと殆んどがトイピアノの総数)のための作品であるらしい。マッチョな男のジャケットが意味深で、また<TAMARAN>というタイトルはいったい何か?精液の滴りという意味合いの単語が副標題にある。ここまで来ると何をかいわんやではあるけれども、音響とは何のつながりもなかろう。オーケストラスコアーをイメージしての上下に12行(12台のピアノスコアー)、列として縦割りに時間尺度が刻まれた、音符のない一種時刻表めいたグラフィックスコアーがレコード収納袋に印刷されている。そうしたタイムスケジュールにのっとて12台のピアノがおのおの鍵盤・単音を奏する作品ということなのであろう。ここには楽音作品として聴くというなんらかの意味づけを求めることを放棄した、単なる音の流れの体験のみを企図した作品とでもいったらいいのであろうか。人間の形成意志の介在する余地を排除した音響空間ということだろうか。?が付きまとうのも悩ましく、ばかばかしさをも引きずるのはアヴァンギャルドのつねではあるが、1974年の作品である。