yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

飛ぶこと忘れ鳴くばかりのアヴァンギャルド・ワルターマルケッティの鳥たち

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                Walter Marchetti - La Caccia [da Arpocrate Seduto sul Loto]
                http://www.youtube.com/watch?v=0fc1hW_1P4k&feature=relmfu

なんだこれは?先ず第一印象がこれだ。見開きになっているレコードジャケットにあるパフォーマンス写真から察するに、机上におかれている、音を出すための小道具、どのようにであれ音がなりさえすれば即楽器ということであろう。どこにでもある小道具を、吹き、こすり、引っかき、うちたたき、野に生息する大小の鳥たちはかく生存の証しとして音立てるであろうとでも言うように、鳴き、囀り、威嚇し、喧しく呼び交わしこだまする小道具鳥たちの世界。音だけを聴いている限りでは、よく出来た放送の効果音で終わってしまう危うさがある。しかしこうした音の展開を、イベント、パフォーマンスとして目の当たりにしたらどうであろうか、それも、グラフィックなスコアーによりながらのパフォーマンスとして音出しされたらどうだろうか。これはかなりな印象をもたらすのではないかと思える。たとえば、一の鳥、二の酉、三の禽、四の鳥・・・・、といろいろに擬せられた小道具鳥たちがアレアトリックに狩りとられ鳴いたとしたら、これは立派に自然世界がもつ一回かぎりの偶然のパフォーマンスではないか。まことに即興演奏そのものであるといいたくなる。この<LA CACCIA>(狩?)とタイトルされた作品は、アメリカのフルクサスと同様なイヴェント、パフォーマンス活動をするグループといわれているイタリアのアバンギャルド芸術集団<ZAJ>の創設メンバーの一人ワルターマルケッティWALTER MARCHETTIのものであり、イタリアCRAMPSレーベルのNOVA MUSICHAシリーズの一枚として出された。パフォーマンスは1965年のものとされている。まさにさもあろかとでも言えるほどに見事な鳥たちの鳴き声であり、音感の鋭さと、かなりなオタクであったのではとも思わせる。両面42分にも亘る小道具鳥の鳴き声のパフォーマンス。その執拗さには聊かあきれもするが、でなくてはアヴァンギャルドを名のる拍手喝采も嘲笑罵倒も手にすることは出来ないのであろうか。飛ぶことをやめ鳴くばかりの鳥も聊かうるさくはある。古来鳥は神の使いであり、霊の媒介者であった。それゆえ鳥の世界を支配するものは神であり、また王者たるべきものであった。「人が霊界の存在を考えたとき、鳥はその最初に霊格化された神であり、あるいはまたその使者であった。それであらゆる神話のなかに、鳥を含まない神話はなく、あらゆる民俗の中に、鳥を含まない民俗はないといっても、決して過言ではあるまいと思われる。季節とともに来去し、人里近くに住みながら、その生態を容易に知りがたい鳥の神秘な世界は、そのまま霊的な世界におきかえられる。」(白川静・鳥の民俗学)このように鳥は大空に涯てなく飛翔してこそ風と戯れ人を凌駕し神の使いとしてヒトの夢となる。俗界で鳴くばかりでは夢をを忘れてしまいそうだ。

     た ま し ひ の 郷 愁 鳥 は 雲 に 入 る (日野草城)

     天地(あめつち)は逆旅なるかも 鳥も人も
                いづこより来て いづこにか去る  (湯川秀樹