yuki-midorinomoriの日記

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アルチュール・ランボー『地獄の季節』を音楽作品に誦うジルベール・アミ

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ジルベール・アミGILBERT AMY(1936)がアルチュール・ランボーの『地獄の季節』の詩句を題材に作曲した作品、そのタイトルもそのまま「SAISON EN ENFER」。フランスの現代音楽を紹介するINAGRAM COLLECTIONシリーズの一枚である。今、青春真っ只中の人たちが、どれほどアルチュール・ランボー《早熟の天才。詩人ヴェルレーヌによって才能を見出され、後にマラルメとともに、「呪われた詩人」と評される。ダダ、シュールレアリスら、20世紀の詩人たちに絶大な影響を与えた。現在の我々が詩とみなしている文章の原型はここにあるといっても過言ではない。日本の詩人たちにも多くの影響を与えたが、取り分け中原中也ランボーには深いつながりを見出せる。詩集『地獄の一季節』、散文詩集『イリュミナシオン』。》(WIKIPEDIA)を知り、その詩句に親しんでいるのかは知らない。以前ある新聞記事で誇張して扱っていたかもしれないが、東大文学部の大学院生がドストエフスキーの存在さえ知らず、教授が絶句したとの記事を読んだが、時代も変わればここまで来るかとの印象を持ったものであった。少なくともある程度文学に関心を持ち、自意識との格闘に青春の日々をのたうっていた若人にとっては、一度でも対面、通過した作家であり、詩人であったはずである。もちろんそうした通過儀礼を経ずして私と同年代で、いっぱしの成功した社会人が多くいることも確かなことで、とりたてて言うことではないのかもしれない。しかし過剰なほどの自意識にさいなまれた学生、若人にとっては、小林秀雄の評論「様々なる意匠」「Ⅹへの手紙」。こと音楽評論では疾走するかなしみという表現で夙に知られた「モーツアルト」。また一般的には「無常といふ事」の諸評論でその思想的感化をうけたことであろう。そして極めつけは「地獄の季節」の鮮烈極まりない詩句の数々であったことだろう。その詩句との衝撃的な出会いは小林秀雄の名訳ともあいまって鮮烈であった。誤訳が多いと指摘する向きもあるらしいけれど、それらの訳のつまらなさはいかんともしがたい。意訳でいいではないか、小林ランボーで十分だ。ともあれ最初の出会いは決定的である。



嘗ては、若し俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴であった。誰の心も開き、酒といふ酒は悉く流れ出た宴であった。

或る夜、俺は『美』を膝の上に座らせた。――苦が苦がしい奴だと思った。――俺は思いっきり毒付いてやった。

俺は正義に対して武装した。

俺は逃げた。あゝ、魔女よ、悲惨よ、憎しみよ、俺の宝が託されたのは貴様等だ。

俺はたうとう人間の望みといふ望みを、俺の精紳の裡に、悶絶させて了ったのだ。

あらゆる歓びを絞殺する為に、その上で猛獣の様に情け容赦もなく躍り上ったのだ

俺は死刑執行人等を呼び、絶え入ろうとして、奴等の銃の台尻に咬みついた。連枷を呼び、血と砂とに塗れて窒息した。

不幸は俺の神であった。泥の中に寝そべり、罪の風に喉は涸れ、而も俺が演じたものは底抜けの御座興だった。

かうして春はむごたらしい痴呆の笑いを齎した。



            また見付かった
            何が、永遠が、
            海と溶け合う太陽が。

            独り居いの夜も
            燃える日も
            心に掛けぬお前の断念を、
            永遠の俺の心よ、
            かたく守れ。

            人間どもの同意から      
            月並みな世の楽しみから
            お前は、そんなら手を切って、
            飛んでゆくんだ・・・・。
            
            もとより希望があるものか
            立ち直る筋もあるものか、
            学問しても忍耐しても、
            いづれ苦痛は必定だ。
            
            明日という日があるものか、
            深紅の燠きの繻子の肌、
            それ、そのあなたの灼熱が、
            人の務めというものだ。
            
            また見付かった、
            何が、永遠が、
            海と溶け合う太陽が。


また次の詩句をもまた若き日々、定まらぬ鬱勃の幾多の自意識が胸に諳んじたことだろう
            
            
            あ々、季節よ、城よ
            無疵な心が何処にある。
            
            俺の手懸けた幸福の
            魔法を誰が逃れよう。
            
            ゴオルの鶏の鳴くごとに、
            幸福にはお辞儀しろ。

            俺はもう何事も希うまい、
            命は幸福を食い過ぎた。
            
            身も魂も奪われて、
            何をする根もなくなった。
            
            あ々、季節よ、城よ。
            
            この幸福が行く時は、
            あ々、おさらばの時だろう。

            季節よ、城よ。
            
       過ぎ去ったことだ。今、俺は美を前にしてお辞儀の仕方を心得ている。
       
       
斯く思い出深き詩句を思いつつ堪能した一曲であった。
なんとも効果的な、その楽器名称が分からないが、民俗楽器の小太鼓の数々の使用とともに、ドローンに乗ってのランボーの詩句の朗誦が、詩を退廃のパリの都に投げ捨てアフリカへ商人となり、その果て泥となって腐ってゆく身で人生を終える、見事なまでに歴史を足早に駆け抜けていったアルチュール・ランボーのイメージを呼び起こしてくれるサウンドであった。フランス語が幾分でも分かればより以上の感動となったことであろう。1936年フランス、パリに生を授け、卒後ピエール・ブレーズの指導のもとに、作曲、指揮などに強い影響を受け、またブーレーズの後をうけて現代音楽普及発展の音楽史的意義を冠せられる現代音楽演奏会<ドメーヌミュージカル>の指導者として精力的に活動しており、また堅実な安定した作風の良い作品を有している作曲家でもある。

           ランボー――http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0690.html